社長・坂本毅の『バンベン日記』


 

2019,05,07, Tuesday 05:27 PM


*銭湯の写真がないのでここでもオルドスの子どもの写真を載せておきます。

ボクの部屋にはシャワーがない。髪はお湯を張った洗面器とマグカップとバケツを使い、部屋で洗うことができた。体を洗いたいときは町の銭湯に行くしかない。自転車を飛ばして10分くらいのところにある銭湯に通っていた。オルドスは乾燥していたので、銭湯には週に1回くらいで十分だった。それでも地元の人より数倍は通っていた。

寮生活をしている生徒たちは、普段昼間の暖かいうちに濡れタオルで体を拭き、夜、足を洗うらしい。ある日の授業で連続動作の「~て」を使った文を作らせたことがある。「みなさん、寝る前に何をしますか。」その場で口頭で答えさせる。みんな覚えた単語を駆使して文を考える。そして発表。まず一人目、「わたしは・・・、日記を書いて・・・、う~ん、歯を磨いて、足を洗って寝ます。」二人目、「わたしは本を読んで、トイレに行って・・・、それから・・・、足を洗って寝ます。」3人目「わたしは・・・て、足を洗って寝ます。」みんな足を洗って寝るのである。思わず「なんか、悪いことしてたんか」と突っこみたくなる。

銭湯に行くとまず入り口にカウンターがあって、そこでお金を払う。営業時間は朝の10時から午後4時まで。初めのころは5角だったがその後1元に値上がりした(*当時1元=約15円、1元=10角)。入り口の角のほうには椅子が2台あって1元で散髪もやってくれる。

カウンターの奥から男と女に分かれるが、下駄箱はない。男と書いたのれんをくぐっていくと、中に大きな脱衣所がある。そこには簡易ベッドが40床ほど並んであるのでその1つを確保し、そこで服を脱ぐ。脱いだ服や貴重品はベッドの横の木製のロッカーの中へ入れて、ゴム草履に履き替えて、もうひとつののれんをくぐると、そこはシャワー室。

やたら広く天井が高いがシャワーは3つしかない。天井から3本ノズルが伸び先端はシャワーの形をしているが何か詰まっているのかボトボトと水道の蛇口と変わらないような形でお湯が落ちている。シャワー室の奥は日本の銭湯より大きな浴槽がある。初めてそこに行ったとき、まず、浴槽に浸かった。気持ちよく手足を伸ばしていたが、よく見ると水面には一面の垢。しかし周りの人は平然としている。それどころか、なんとその場で垢を擦りだした。

ここでの銭湯の入り方はまず浴槽に入り、体がふやけたところで、手やタオルで体を擦る。これを浴槽に浸かったままやる。それでも物足りない人は三助さんを呼んで浴槽のそばのマットで垢すりをやってもらう。その後シャワーを浴びて最終的にはきれいになって脱衣所に戻る。

ボクは専らシャワーだけ。しかしこのシャワーを浴びるのも一筋縄ではいかない。まず3つあるシャワーのうち1つは必ず壊れていた。そうすると2つしか使えないのだが、当然混んでくると一人1つのシャワーというわけにはいかない。ひとつのシャワーに4,5人の人が群がりシャワーを浴びる。

ボクは最初、その中に入れなかったが 次から次へと人が来るのでぼやぼやしていたら、ずっとシャワーを浴びれない。まず髪を洗うために人をかき分け、頭だけシャワーのほうに突き出して髪を濡らす。シャワーから離れてシャンプーをつけて洗う。次にまた頭をシャワーのほうに突き出して、シャンプーを落とす。そして次は身体・・・。

まともに陣取り合戦をしても小柄なボクには勝ち目はない。タイミングよく誰かが抜けると同時に身体を入れるのがコツ。

だんだんボクが日本人だと知っている人が増えてくると、「おい、そこの日本人がジャワーを浴びたがっているからちょっと譲ってやれ」といってくれる人もいた。弱い立場の人には本当に親切なのがオルドスのいいところ。

なんやかんやでシャワーをめぐる戦いを終えて、きれいになって脱衣所に戻るとそこはもう天国。ベッドでゆっくり昼寝している人もいれば、トランプに興じる人もいる。

ビールを飲みながら世話話をする人もいる。気持ちよさそうにマッサージをやってもらっている人もいる。こっちの人にとって銭湯は体をきれいにする以外に社交の場であるし、貴重な娯楽の場でもある。半日くらいゆっくり時間をかけて過ごす人が多いようだ。

ボクも時間があるときは風呂上りに簡易ベッドでビールを飲みながら本を読んで、そのまま昼寝をしたりした。知り合いがいたら風呂上りに一緒にバイチュウを飲んだり、中国将棋を指したりして本当にくつろぐことができた。

風の強い日は帰り逆風になるので、必死に自転車をこいで、砂を浴びながら帰るということになる。部屋に戻ると髪は砂だらけ。何のために銭湯に行ったのかわからなくなる。銭湯に通うのは楽じゃない。本当に大変だった。

しかし中国人の人情に触れる貴重な場でもあった、・・・と日本に帰ってからはしみじみ思えるのであった。

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2019,05,06, Monday 04:12 PM


*トイレの写真はないのでオルドスの子どもたちの写真を載せておきます。

ボクの部屋にはトイレがない。だから用を足すときは、外の公衆トイレに行くしかない。中国の一般的なトイレは、男女は明確に分かれているものの、同姓同士ではオープンで大便用の個室などはない。あるのは長方形の穴のみ。しかも職員用のトイレといったものもない。当然生徒たちの前で大きいのを出さなければならないことだってある。

初めは、生徒たちの前でズボンを下ろして「考える人」になるのに屈辱すら覚えた。しかし生徒のほうはあっけらかんとしているので、ボクもそういうものかと割り切って、「中国式トイレ」に割と早く慣れていった。

ある日トイレでしゃがんでいると、頭がボサボサでちょっと風来坊っぽい生徒「武蔵」がボクの横に座ってきた。そして、おもむろにボクが授業のときに渡したガリ版のプリントを広げ出した。
「センセイ、これ、どう読むの。」と、ぶっきら棒に聞いてきた。場所が場所だが、せっかく「武蔵」がやる気になっているので、仕方がない。そのまま2人でしゃがんだまま、日本語の発音練習を始めた。

しばらくすると「武蔵」も納得したのか、「センセイ、ありがとう。」と日本語で言ってくれた。ボクもこれでトイレから出られると、ホッとした。

と、その瞬間、「武蔵」はこともあろうか、ガリ版のプリントをクシャクシャと丸めてしまい、それでお尻を拭いてそのまま穴へポイッと落として、悠然とトイレを後にしたのであった。

一瞬の出来事だったのでボクは何も言えず、トイレにしゃがんだまま固まってしまった。

ここの人はトイレットペーパーなど持っていない。だいたい新聞紙をクシャクシャにしてほぐして「落とし紙」として使っていた。しかしまさか自分が丹精込めて作成したガリ版のプリントを使われるとは思わなかった。

「武蔵め。」その日はそれが原因でかなり落ち込んだ。でもよく生徒を観察していると、ここの生徒はトイレでしゃがんでいるときに紙に書いた学習項目などを覚えている。

そして昔の日本の受験生なら覚えてしまった後、それを食べてしまうところだが、こちらではそれでお尻を拭くのである。

ボクのガリ版のプリントの何枚が「落とし紙」として使われたか定かではないが、せめてきちんと覚えてほしいと願うのみであった。

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2019,05,04, Saturday 04:37 PM


*本文とは関係ありませんが、よく部屋に遊びに来てくれた子供の写真を載せています。

校舎は夜の9時半を境に不気味な静寂と暗闇に包まれる。

それ以前とは全く違った世界となる。ボクは日本でも大学時代はずっと一人暮らしだった。しかし4畳半の狭いアパートに住んでいたので、夜は隣の電話の音やテレビの音に多少なりとも悩まされた。ここの夜は一人ぼっち。部屋の外は真っ暗で何も聞こえない世界。怖い夢もよく見たが、中でもはっきり覚えていることがある。

ある日の土曜日、仲のいい先生がボクの部屋にやってきて、「今から知り合いの葬式に行くが、君も来ないか」と言われた。全然知らない人の葬式に行っても意味がないし、面倒だったので断った。「それじゃ、君のカメラだけでも貸してくれないか」といってくるので、小型のカメラを貸してあげた。

翌日、日曜の夜、彼がカメラを返しに来た。ついでに現像が終わった写真も見せてもらった。死んだ人の遺影・きれいに彩られた棺桶・白装束の遺族・砂漠に穴を掘って棺桶を埋めるところなど克明に写真に収められており、彼が一つ一つ詳しく説明してくれた。

ついつい話し込んで気がついたら夜の12時を回っていた。彼は慌てて帰っていった。

ボクも早く寝なきゃと思い、すぐ寝床について電気を消した。しばらくすると変な感覚になった。

耳鳴りがする。ドアの外で物音が聞こえる。「何だろう?」でも怖くて目が開けられない。そのうちに部屋の外に一人の男が立っているのがはっきり見えた。目は閉じているのだが、なぜかはっきり見えた。

体は完全に金縛り状態。その男はしばらく部屋の外にいたがそのうちフッとドアをすり抜けて部屋の中に入ってきた。

すると一目散に部屋の隅々を荒らし始めた。何かを必死に探しているようだった。ボクはやばいと思いつつも体が動かない。殺されるかも、、、。恐怖感が極限まで高まっていたが、なぜかその男はボクには目もくれず、ひたすら何かを探していた。

しばらくしてその男はまた、スッとドアをすり抜け去っていった。やがてボクの金縛りは解けたが、また、その男が来るかもしれないという恐怖心から、朝まで眠れなかった。

朝6時、生徒たちが自習に現れる。校舎に「人間の世界」が戻ってきた感じ。やっと安心して寝ることができた。

9時ぐらいに目が覚めた。

ふと見ると、部屋の隅に昨日来た先生の上着が置いてあった。忘れて行ったのだろう。そして、そのうちポケットには昨晩見せてもらった一連の写真が入っていた。

これ以外にもなぜか時々怖くて眠れないこともあった。そして日本ではほとんど経験がなかったのだが、この部屋では寝ているときによく金縛りに遭った。

ずっと後の92年の9月にボクはその部屋を引っ越すことになりその後は怖い夢も見なくなった。

引っ越してからほかの親しい先生によく怖い夢を見ていたんだと打ち明けると、その先生は「やあ、僕もあそこでは一人で寝られないと思う。なんせ、あの校舎の西側、つまり君が住んでいたところは昔、墓地だったんだ。」

思わず絶句してしまった。

| 日記 | 04:37 PM | comments (0) |
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2019,05,03, Friday 04:49 PM


ボクの部屋は校舎の2階の西の隅っこにある6畳ほどの空間。窓からの眺めはいい。運動場がよく見える。特に朝7時から全校生徒がクラスごとにグラウンドを3周走る姿と、午前中2時間目と3時間目の間に全校生徒が教室から一斉に出てきてラジオ体操のようなものをやっている姿を見るのが好きだった。

しかし、ボクの部屋にはトイレ、シャワーはもちろん水道すらない。毎日、朝一番の日課は水汲み。20リットル入りのポリバケツを持って校舎から200メートルほど行ったところにある食堂のそばの水場に行って汲んで来る。その水を電気湯沸かし器で沸かしてお茶を飲んだりもすれば洗濯もする。髪を洗ったりもする。日本では考えられない生活だが、人間大抵のことは慣れるもので、そんなに大変とは思わなくなった。

ただどうしても慣れなかったことがあった。それはプライベートが保てないこと。私の部屋のはす向かいは51組の教室になっていた。部屋を出て4歩半で着く距離にある。そして生徒のほとんどは寮生活をしている。学校の規則はとても厳しく、朝6時には教室に入って自習をしなければならない。

田舎の子は早起きだ。早い生徒は5時半ぐらいには教室の前、つまりボクの部屋の前に集まって教室の鍵が開くのを待っている。生徒たちはボクが寝ているのを知っているからけっして大きな声で騒いだりはしないのだが、小さなささやき声がかえってボクの耳を刺激して目を覚ますことになる。

夜も7時半から9時半までは自習時間。だいたい教室のドアは開けっ放しになっていた。ボクは部屋のドアをいつも閉めていたが、夜の自習のシーンとした張り詰めた空気が伝わってくる。生徒の咳払いや鼻をすする音も聞こえてくる。何だか鉛筆を走らせる音まで聞こえてきそう。ということはこちらが出す音も間違えなく生徒たちに筒抜けになっている。うっかり鼻歌も歌えない。ただ静かに本を読んだり、授業の準備をしたりして夜をすごした。

時々他の先生がボクの部屋を訪ねてくる。用事が済んだ後、だいたいボクは質問攻めに会う。「東京人か?」「家族は何人?」「歳は?」「日本人は何を食べるんだ?」「富士山に登ったことはあるか?」「高倉健に会ったことはあるか?」「中国は好きか?」、、、。そして彼らの質問はどんどんプライベートなことへ向かっていく。

「恋人はいるのか?」小さい声で「いません」とボク。そうすると待ってましたとばかりに、「えっ、25歳になってもまだ恋人がいないなんて信じられない。ここではほとんど25歳くらいには結婚しているか、相手が決まっていなきゃいけない。」「俺が紹介してやろう。」「好きなタイプは?」「・・・。」「いくつくらいの子がいいんだ?」「・・・。」「そう恥ずかしがるな。やっぱり若い子がいいんだな。今度紹介してやるから。」

田舎の先生はとにかくおせっかい。そして声がでかい。静かな部屋で2人で話しているのに、まるで100メートル離れた所にいる人に向かって叫んでいるかのようだ。当然内容はすべて自習をしている生徒たちに筒向けだ。笑いを堪えて自習をしている生徒たちの姿が思い浮かぶ。本当に早く帰ってくれるのを祈るしかなかった。

時々、そのまま酒を飲みに行こうと連れて行かれる羽目になるが、だいたいは質問攻めがひと段落すると先生たちは満足して帰っていく。そしてまた、静かに時間を過ごす。

そうこうしているうちに9時半。終了のベルがけたたましく鳴る。生徒は一目散に寮へと戻っていく。その後、掃除当番が教室をはいてゴミを廊下の所々にためておく。生徒たちはその日学んだことを紙に書いては丸めて床に捨てる。その大量の紙くずが廊下の所々に集められる。

やがて廊下を掃く音も聞こえなくなり、校舎中が不気味な静寂に包まれる。一階に門番はいるが2階に住んでいるのは当然ボクだけ。一人暮らしには慣れていたが、一人の夜がこんなに心細く感じられてことはない。さっさと布団の中にもぐりこんで無理やり寝てしまうしかなかった。

| 日記 | 04:49 PM | comments (0) |
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2019,05,02, Thursday 03:46 PM


4月30日(火)

世の中は「平成」から「令和」に向かって大きく動き出している中、バンベンでも大きな変化が・・・。

雨の中、バンベン号に乗ってトヨタの販売店へ。13年一緒に歩んできた2代目バンベン号とも今日でお別れ。

13年間17万キロ。来年3月まで車検があるのでそのタイミングで新車と交代させたかったのだが、ツルツルのタイヤや弱くなったバッテリーなど来年まで乗り続けるといろいろメンテ費用もかかる。資金的にはきつかったが、この時期の新車購入となった。

バンベン号は人だけじゃなく塩(商品)も運ばなければならない。安全性と容量と快適性を考慮し購入したのがサクシード(ちなみに1代目は中古の軽ワゴン)。

ある時は商品や長机を目いっぱい積んで展示会に挑んだ。またある時は車中泊をしながら九州営業の旅に出かけた。家族ができてからは保育園送り迎えや買い物など日々の生活からドライブや長期旅行など公私ともに欠かせない存在。

最小限のメンテしかしてないし、少々のキズはほったらかし、ろくに洗車もせず、終盤は健のオムツ臭がこびりつき、まさに満身創痍の状態。こんな大雑把な扱いを受けたにもかかわらず、一度の故障もなく、最後まで任務を全うしてくれた。本当に感謝しかない。最後は洗車をして低調に次のステージに送り出した。

そして迎えた新車(3代目バンベン号)は、、、。もちろんサクシード。

今度はダークブルー、今度はハイブリッド。静かな走りだし、より機能的になった収納、そして新車の香り・・・。

2030年のセミリタイヤの日まで活躍しれもらわなければならない。これからの10年は世の中もバンベンも激動の時代を迎えるような気がする。

今年から始まる新しい取り組みや未来のバンベン(事業&家族)に思いを馳せながら3代目バンベン号の初乗りドライブを楽しんだ。

| 自分のこと | 03:46 PM | comments (0) |
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