社長・坂本毅の『バンベン日記』


 

2005,10,29, Saturday 02:15 AM
今日は吉塚のモンゴル料理で心地よい時間を過ごした。明日は朝一の飛行機に乗って東京へ。29、30日代々木公園で行われる青年海外協力隊40周年のイベントに参加する。セレモニー的なことには興味がない。目的はバンベン商品を売りまくること(目標は20万!)。ステージで仲間と二胡とか太極拳を披露して弾けること。30日の打ち上げで美酒を浴びること。そのために今夜は徹夜で頑張ります!あした、晴れますように!


| 日記 | 02:15 AM | comments (1) |
comments (1)





2005,10,27, Thursday 02:09 AM
4日目(10月3日)

8時に起きた。羊の肉の詰まった揚げパンなどモンゴル式朝食を食べた後、植林地のウランダワ砂漠に向かった。ウラン鎮政府からはヤン書記、バオ鎮長が同行、バトー前書記も来てくれた。ジープ2台で、アスファルトの道を30分、土の道を30分走ったところにスージー集落のナランファー書記の家がある。毎回、まずここで簡単な歓迎を受ける。鎮の指導者は異動で替わるが、このナランファー書記は生まれてから死ぬまでずっとここにいる。ものすごく働き者で集落のムーミン(牧民)からの信頼が厚いナランファー書記がいることもここを植林地に決めた大きな理由である。

土の道から分かれて砂漠に向かうでこぼこ道が8km延びている。この道路も共同植林のために集落の人々がお金を出して作ったものだ。1km=1万元かかるらしい。その道の出発点に大きな看板が立っている。「中日友好植樹基地」とモンゴル語・中国語・日本語で書いてある。

砂漠に入る前に「今年の夏は雨が一度しか降らなかった。何十年ぶりかの旱魃だ」と言われた。「植林を始めた最初の年が旱魃とは・・・。」気が気でなかった。4月に10人の日本人と村の人総出で植えた10万本のポプラは生きているだろうか。食い入るように砂漠のほうを見ていた。やがて植林地が見えてきた。緑の葉を湛えたポプラの木がずっと広がっていた。感無量。地元の人の調査によると旱魃にもかかわらず60%のポプラが生き残っているとのことだ。改めてこの地が緑を回復する力を持っていることが実感できた。

しばらくみんなで植林地を歩いた。よく見ると場所によってほとんど生き残っているところと、半分以上枯れてしまったところとくっきりと分かれている。植え方の問題か、場所の問題かよく検討しなければ。4月に同時に植えた「沙柳」などの草も確実に根を下ろしていた。最後に来た人が一人1本ずつ「柳」の苗木を植えた。隊員の二人も慣れない仕草で懸命にスコップをつかって砂を掘っていた。僕は砂漠を見ながらずっと来年のことを考えていた。

植林地を離れ砂漠を横断して別の集落のムーミン(牧民)の家で昼食を取った。
例の乳製品の前菜を肴に白酒を酌み交わした。つまみらしいつまみもなしに40度以上ある酒を一人1本近くあけるのは辛い。でもこの苦しみに耐えたら最後には「ショーパーヤンロー(羊の丸煮)」が出てくる。牧民の家で食べる羊は最高。締めは羊のスープをご飯にかけて食べる。本当に生きててよかったと思う。

同行のK隊員もN隊員もムーミン(牧民)の無理強いにもかかわらず、一切白酒を飲まなかった。「えらい!」飲めない人でもこの雰囲気で思わず飲んでしまうのが普通だが、ここの人たちにも「飲めない人には無理に進めない」という習慣をつけてほしいと常々思っていた。今回のことで少しは習得したかもしれない。

夕日を浴びながらウラン鎮へ。帰りの道中いろいろ考えた。ウランダワ砂漠の5年後は、10年後は?いろんなアイデアが頭の中を駆け巡った。
ヘビーな食事&酒が続いたので、夜はスヤラトなど教え子の数名と軽く食事、と思っていたが結局、羊のシャブシャブにした。羊だけはいくら続けても飽きない。ビールと羊で静かな宴が営まれた。

*旅日記の写真は僕のHP(http://www5f.biglobe.ne.jp/~ordos-banben)の写真館のコーナーに掲載中。一度覗いてみてください。




| 日記 | 02:09 AM | comments (0) |
comments (0)





2005,10,25, Tuesday 02:25 AM
3日目(10月2日)
 9時に起きた。熱は下がっていたが、のどが痛い。この状態でオルドスを周るのは危険だが、もうなるようになるしかない。しかもかなり寒い。カシミアのセーターを着て出かけた。10時半にバスターミナルへ。今回オルドスを一緒に周るK隊員(吉林省長春市、日本語教師)とN隊員(河北省石家庄市)と合流。昨日一緒に食事したオルドス第3中学のM隊員のところへ行った。

部屋は2LDK特にリビングはかなり広い。僕が隊員だった時とはえらい違い。しかし大型テレビはあれど映らない。電話がない。暖房が入っていない。それなりに苦労しそうだが、けっこう異国の生活をエンジョイしている様子だった。その後、3中を見学、M隊員の同僚の李先生を交えて昼食を取った。李先生は日本語教育にとても熱心で穏やかな人。隊員のよき理解者になってくれるんじゃないかと思った。
2時に緑化地のオトコ旗政府の人が迎えに来ることになっていた。昼食はついつい話し込んで、30分後れで待ち合わせのホテルに着いたが、迎えの人は1時間以上遅れた。これがオルドス時間。

実は今回の訪中の直前にとんでもない情報が入っていた。今まで緑化事業を一緒にやってきた「チャガンノール鎮」が隣の「ウラン鎮」に吸収合併されてしまった。今まで交流を重ね、少しずつ信頼関係ができていたバトー鎮書記やハオ鎮長もどこかに飛ばされたらしい。ボクの教え子のスヤラト副鎮長も隣の鎮に異動という。4月に10万本の植林活動ができたのも今まで培ってきた人間関係の賜物。今後は「ウラン鎮」の指導者と全く一から人間関係を築いていかなくてはならない。それにしても中国の行政改革は過激だ。1ヶ月前に連絡した時には合併の話はなかった。3週間前にオルドスの鎮の数を半分に減らすという方針が打ち出されたらしい。

3時半に迎えに来てくれたのは何と新「ウラン鎮」のヤン書記。広州ホンダのアコードを自ら運転して、3時間かけて迎えに着てくれた。ヤン書記も僕の緑化事業を重視してくれていたらしい。普通中国ではトップが替わっても引継ぎなどがなく、むしろ前任者と違うことをやる人が多いので、合作を維持するのが大変なのだが、バトー前書記がしっかり引き継いでくれたらしい。ウラン鎮までの3時間。車の中でヤン書記といろいろ話した。それにしても中国の行政改革は過激だ。3週間前にオルドスの鎮の数を半分に減らすという方針が打ち出されたらしい。ドタバタで新しい鎮の指導者を選挙(党員による)で決めたことなど、中国の政治や仕事の大変さをざっくばらんに話してくれた。とっても気さくな人なのでなんとなくうまくやっていけそう。でも人口4万人の大きなウラン鎮の書記。人口6000人だった旧チャガンノール鎮の書記とは忙しさが違う。今までのように僕がいる間、ずっと同行してくれるようなことはないだろう。

ウラン鎮に着いたのは6時半。すぐに小高い丘の上にあるモンゴル族の神聖な場所「オボ」に行き、今後の合作の成功を祈った。夕食はそこの近くにあるモンゴルゲル(モンゴル式テント)のレストラン。羊料理をたっぷり味わった。バトー前書記とスヤラトも駆けつけてくれた。今後もできる限り協力してくれるとのこと。非常に有難かった。白酒もほどよく飲んで、新旧の友人との親交を深めることができた。不安が安堵に変わって、3日目の夜が更けていった。

*旅日記の写真は僕のHP(http://www5f.biglobe.ne.jp/~ordos-banben)の写真館のコーナーに掲載中。一度覗いてみてください。



| 日記 | 02:25 AM | comments (0) |
comments (0)





2005,10,20, Thursday 01:19 AM
10月1日(土)

6時に起きた。のどが痛い。熱っぽい。クーラーかけっぱなしだったせいか。いやな予感。この日は内モンゴル・パオトウまで飛行機で行って、バスでオルドスに入る予定になっていた。荷造りをして6時半にホテルを出た。タクシーを捕まえて空港まで。空港に着く手前で渋滞に遭った。大型連休の初日で空港はいつもよりだいぶ込んでいた。チェックインカウンターは長蛇の列だったが、僕には関係なかった。空いているカウンターでチェックイン。専用のラインでセキュリティーチェックを済ませ、専用の待合室で優雅にコーヒーを飲みながら搭乗を待った。

実は今回、ファーストクラスを取っていた。前日、北京空港に着いてからパオトウ行きのチケットを買おうとしたら、エコノミーはすべて売り切れ。大型連休の初日の移動なので、当然、日本で購入しておくべきなのだが、敢えてそれをやらないで、出たところ勝負をするのが自分流の旅。飛行機のチケットが取れなかったら、夜行バスでも列車の無座(自由席)でも1日中にオルドスにたどり着く自信はあった。だがファーストクラスがしかも1席だけ残っていると言われ、思わず300元増しのチケットを買ってしまった。これも全て成り行き。生まれて初めてのファーストクラス。せいぜいリッチな気分を味わおう。

8時前に搭乗、革張りの自分には大きすぎる座席に腰を下ろした。すぐにオレンジジュースが差し出された。紙コップではない。グラスで。朝食だから、たいしたことはないと思うがどんな食事が出てくるか、ちょっと楽しみ。オレンジジュースを飲み干すと急に睡魔に襲われた。革張りのシートでリラックスできる。しばしの仮眠・・・。目を覚ますと毛布がかけられていた。そして飛行機はすでにパオトウに着いていた。日本からの疲れも持ち込んでいてすっかり熟睡してしまった。空姐が「朝食食べなかったから」とミネラルウオーターのペットボトルをくれた。あっけないファーストクラス初体験。

空港からタクシーでバスターミナルへ。そこからオルドスの中心地「東勝」までは1時間半。昔は3時間かかっていたが、今は高速道路が通っていて、時間も短縮された。バスに乗っている間、ずっと寒気がしていた。昼前に東勝に着いた。バスを降りて近くの食堂でラーメンを食べ、ホテルに向かった。いつもは70元くらいの安宿を取るが、完全に風邪を引いたようなので、ゆっくり休める188元の3星のホテルにした。この日、会いたい人はいろいろいたが、ここは元生徒たちとの夕食だけにしぼって、しばらくホテルで休んだ。

18時に元生徒の一人、モンカダライが迎えに来た。今年の正月に会って以来。しばらくホテルで話した後、すぐに食堂へ。元生徒たちなど9人が集まってくれた。91年以来の付き合い。前は先生と生徒という関係でほとんどの生徒とはじっくり話す機会はなかった。今はお互い友だちのように何でも話し合える。先生・弁護士・医者などそれぞれ立派に社会に貢献している。僕が一番ふらふらしているようだ。生徒たちはみな結婚している。多くは子供がいる。僕一人取り残された状態。会うといつも「いつ結婚するんだ」と冷やかされる。「先生、もう少し待って僕の娘と結婚したら?」と言われることも。が、こればかりはどうにもならない。あと何年間、冷やかされることやら・・・。

今年の8月からここ東勝のオルドス第3中学で日本語を教えている青年海外協力隊のM隊員も誘った。久々のモンゴル料理に舌鼓を打ちながら、40度ある「白酒」をストレートで飲む。新隊員も白酒の洗礼を受けてちょっときつそうだったが、がんばって飲んでいた。僕は風邪を引いていたので、ちょっと手加減してもらったが、それでも一人1本近くは飲んだ。いつもなら、場所をいろいろ変えて遅くまで、飲んだり、語ったり、歌ったり、踊ったりするのだが、今日は体調不良で10時前にはおいとました。何はともあれ、元教え子と会うのはいいものだ。協力隊に参加してよかったと思える至福のひと時だった。

それにしても風邪を早く治さなければ。



| 日記 | 01:19 AM | comments (0) |
comments (0)





2005,10,19, Wednesday 12:03 AM
10月18日(火)晴れ

火曜日は二胡・太極拳・中国語の日。これまでは午後からの活動だったが、午前中に仕事が入った。月2回だが、「宗像ユリックス」で二胡を教え始めた。もちろん初心者限定。6名、1回90分のグループレッスン。今日もひたすら外弦の開放弦を「ぎーぎー」いわせながら弾く練習。いろいろ飽きないように工夫はしたが、こればかりは教えるほうも習うほうも忍耐力が必要。1年後に簡単な曲をきれいな音で弾くのが目標。ゆっくりゆっくり丁寧に進めていきたい。

午後はいつもの通り、天神に出て二胡・中国語、最後は太極拳びっしょり汗をかく。火曜の夜のビールが一番うまい!


| 日記 | 12:03 AM | comments (2) |
comments (2)






ページ上部へ ↑

カレンダー
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31      
<<前月 2005年10月 次月>>
新しい投稿
コメント
カテゴリー
過去の投稿
その他