社長・坂本毅の『バンベン日記』


 

2019,06,25, Tuesday 04:54 PM


93年10月、東勝から150キロほど離れたクブチ砂漠のオンカクバイというところで日本の植林ボランティアの人々と共同で木を植えるという活動を行った。

これは前から是非やりたかったイベントだった。ボランティアの方々に費用を負担していただき、学校側に何度も働きかけた結果、季節的にも、受験を控えている生徒たちにとってもタイムリミットであるこの時期にやっと実現した。ただ物理的な理由から、先生10名、生徒10名しか行けなかったのは残念だった。このボクの活動史上最大のイベントに校長は全面的に協力してくれて、教育局や公安への許認可関係などを一手に引き受けてくれた。

10月12日午前10時、校長を団長とした「オルドスモンゴル族中学植林隊」の一行20名はマイクロバスに乗り込み、一路、クブチ砂漠のど真ん中にあるオンカクバイを目指した。バスは北へ向けて所々アスファルトが剥げている国道を快調に走った。いくつもの丘陵を越えた。左手に巨大な建物が姿を現した。建設中だができたらアジア最大の火力発電所になるらしい。ここオルドスは地下に良質な石炭が無尽蔵に眠っている。その石炭を使って電気を作り、それを電力不足の北京に送るのだという。地元ではしょっちゅう停電する。しかし自分の所の電力事情も省みず、ひたすら首都北京へ電力を送らなければならないとは。悲しいサガである。

途中の食堂で昼食をとった。校長以外は先生も生徒もみんな日本語を学んでいる。校長一人を置き去りにして、日本の話に花が咲く。

再び、バスに乗る。今度は西に進路を変える。アスファルトの道はそこまで。いきなりデコボコの土の道に変わった。土ぼこりで窓も開けられない。お尻が持ち上がるほどの悪路の中、車酔いしそうだが、みんなでオルドス民謡を歌いながら乗り切った。時々羊の群れに行く手を遮られながら、ひたすら西へ西へと進む。約10キロごとに集落がある。最初はレンガ造りの家が多かったが、西に行くにつれて土作りの家が多くなっていく。風景も野菜畑からとうもろこしや高粱畑へそして、いつしか不毛の地に姿を変えた。ある丘を越えたところから、辺りは一面の砂漠になった。いよいよクブチ砂漠。砂が迫って車1台がやっと通れる幅の土道。歌い疲れた先生や生徒たちはぼんやり砂漠の風景を見つめていた。

砂漠の広がる中、何時間走っただろうか。夕日が西に沈む頃、ようやくオンカクバイの植林基地に着いた。そこで日本から来ていた植林隊約20名と合流した。植林隊の皆さんは大学生か定年を過ぎた壮年の方が大部分を占めていた。働き盛りの人は、問題意識がないのか、或いは10日間のツアーにも参加できないほど忙しいのか、日本社会の窮屈さを感じた。

自己紹介の後、NGOの役員の方からの簡単なブリーフィングを受けた。「『サバク』とは乾燥のため植物が生えても、それが増殖しない地域のことを指します。つまり雨が降れば一時的に草などが生えてきますが、日照りが続けばそれらは枯れてしまいます。何年間も生き続ける植物が極めて少ない地域、それが『サバク』です。日本語では『砂漠』と書きますが、『サバク』は砂ばかりでなく、土であったり、礫であったり、岩や塩でできたものもあります。中国では水が少ないという意味の『沙』という文字を使い『沙漠』と表します。」熱心な話が続く。オルドスで砂漠化がどれだけ進んでいるのか、どうすれば草原を取り戻すことができるのか、みんな真剣に聞いていた。

その後、お待ちかねの親睦会を兼ねた夕食。食堂には4つの丸テーブルがあった。1つのテーブルに日中のメンバーがそれぞれ5人ずつ加わった。当初、ボクは校長と同じテーブルに座っていた。校長を除いては日本人と日本語学習者。どうしても日本語中心になってしまう。昼もそうだったので少々気の毒になって、校長に振ると、校長曰く「私は初めて言葉の全くわからない世界を経験した。まるで外国にいるみたいだ。でも、おかげで君がどんなにさびしい思いをしながら、生活しているか、身をもってわかったよ」と言った。しみじみとした、その言葉にはずっしりとした重みがあった。

やがて、ボクは若手の先生や生徒、日本の大学生がいるテーブルに呼ばれて、場所を移動した。話題もこっちのほうが合う。日本の歌を一緒に歌う。「坂本さん、モンゴルの生徒さんたちは、シブイ歌を知ってますね。『北国の春』に『星影のウルツ』に『与作』・・・。これは先生の趣味ですか?」日本の大学生に突っ込まれて、言葉を失ってしまった。「最近は若者の歌も教えてるんだけどなあ・・・。」話題を無理やり「あっち向いてホイ」にもって行った。これが大いに受けた。

こちらがゲームなどで盛り上がっている間、校長の座っていた「年配者のテーブル」のほうは険悪なムードになっていた。後から聞いた話だが、校長は言葉が通じない中、校長なりの流儀で友情を示そうした。銀碗にオルドスバイチュウを注いで、日本の年配の方々に飲ませ始めたのだ。だいたいは苦しみながらも、何とか飲み干したようだが、一人、どうしても飲めない人がいたらしく、執拗に飲ませようとする作法に堪らず、銀碗に入ったバイチュウを床に捨ててしまった。これはモンゴル族の作法に反する行為。しかしその人は酒が飲めない人に無理やり飲ませるやり方のどこが礼節だ、と主張。険悪なムードのまま、そのテーブルの人たちは各自の部屋に戻ったそうだ。ボクたちはそんなことが起こったとは露とも知らず、12時過ぎまで、歌い騒いでいた。

次の日、6時に起床。やや二日酔い気味だが、そんなことは言ってられない。7時にまたバスに乗り、5キロほど離れた所にある植林サイトに向かった。砂漠のど真ん中に確かに森ができている。これには感動した。そこを通り過ぎて、その日ボクらが木を植えるのはやはり砂漠。午前中のノルマは1000本。40人で植えるのは大変だが、ここをさっきのような森にしようという強烈な動機付けもあって、みんな素早く作業に取り掛かった。

まず穴を掘る。深さ80センチほどの穴を掘らなければならない。砂なのでスコップがザクッと深くまで刺さる。掘りやすいといえば掘りやすいが、掘った後からどんどん砂が穴に入り込んでしまう。そこでモンゴル族の生徒が手本を示す。スコップを垂直に下ろし四角い穴をいとも簡単に掘ってみせた。オルドスの人たちは小学校の時から年に何回か「義務労働」に駆り出されて砂漠で植林作業を行う。砂漠に穴を掘るのは朝飯前だ。

穴にはポプラの苗木を挿して、素早く砂を戻す。苗木が垂直になるのがポイントだが、なかなか難しい。うまくいったら足で周りを踏み固めて、仕上げにバケツ1杯の水をかける。水は100mほど離れた所にある井戸から汲んで運んで来なければならない。穴掘り・苗木挿し・水かけ、3人1組になって、2mほどの間隔をあけながら、木を植えていく。体力のある人ない人、それぞれ助け合いながら自分のできることをやっていく。見事なチームワークで作業が進み、午前中に予定を上回る1500本の苗木を植えることができた。

3時間ぶっ通しの肉体労働に、ヘトヘトでペコペコ。昼食はご飯に野菜炒めをかけただけの質素なもの。みんな貪るように食べた。10月とはいえ、真昼の砂漠、日差しはきつい。それぞれ、木陰を探して一休み。昼寝をする人、トランプに興じる人、砂に文字を書きながら、筆談をする人、そんな交流の姿をボクはしっかりカメラに収めていった。

2時間ほど休んで午後の作業。少々風が強くなって砂が舞う中、少しも怯むことなく作業を続けた。3時にはその日予定されていた2000本の木を植え終わった。みんな砂漠に刺さった細々としたポプラの苗木を見つめていた。風と闘い、砂と闘い、乾燥と闘い、寒さと闘わなければならない。この2000本の苗木のうち、何本が来年の春を迎えることができるだろうか。10年後に是非この地に立っていたい。そう強く思った。

時間があったので帰りは「沙漠ウォッチング」ということで5キロの道のりを歩いて帰ることになった。みんな思い思いグループを作って、ゆっくり寄り道をしながら基地に戻った。砂漠の砂紋をじっと見ているグループ、糞ころがしが野鼠の落とした糞を丸めているところを写真に収めているグループ、砂漠に生えている薬草の採取をするグループ。

この日、ボクの出番はほとんどなかった。交流のためのゲームなども考えてはいたが、一つの目標に向かって、作業をともにした仲間たちには何も必要なかった。少しだけ寂しさを感じたが、裸足になって砂をザクザクと踏みしめる感覚を楽しみながら、それぞれの交流の姿を見つめていた。

砂漠の砂を持って帰ろうと、空になったペットボトルに砂を詰める。手で砂を掬ってみると、下のほうはかすかに湿っている。そして砂漠のど真ん中にも所々、水溜りがある。そこが決して不毛の地でないことを物語っている。きっと再生できる。かのジンギスカンが惚れ込んだという、素晴らしい景色を想像しながら基地に戻った。

夜は食堂で夕食をとった後、巨大なモンゴルゲルで打ち上げ。まず、蒙古族中学側から感謝の意味を込めて、オルドス民謡を歌いながら、銀碗でバイチュウを勧めていく。決して無理強いはしない。それを受けた日本人もモンゴルの礼節に則って、右の薬指でお酒を弾きながら、天と地と人に感謝して飲めるだけ飲む。日本側からも答礼の意味を込めて、同じように酒を勧める。歌はもちろん日本の歌。幅広い世代の中、みんなで歌えるのはやはり童謡が多かった。先生たちが終わると生徒にも酒が振舞われる。一気に飲み干す生徒に歓声が上がる。酒に関する文化の違いを乗り越えたひと時だった。

それから、ボクの部屋に男子生徒と何人かの日本のボランティアが集まって遅くまで、語り合った。それぞれの砂漠に対する思いをぶつけ合う。日本人にとっては憧れを持つ砂漠。しかし生徒たちにとっては現実。生徒の一人が少しずつ移動する巨大な砂丘に家が飲み込まれた話をする。もう一人が何百頭もの家畜が餓死した話をする。「砂漠のど真ん中での植林もいいけど、今度、機会があったら是非ボクの故郷に来てください。砂漠のすぐそばで生活をしている人々の姿を見に来てください。」あるおとなしい生徒がそう訴えていた。

次の朝、基地のすぐそばで記念植樹を行った。プラスチックのプレートに名前と感想を書いて、それぞれが植えた木に掛ける。何を書いていいか考えがまとまらず結局「砂と水と木と草と動物と人」とだけ書いた。ボクたちはもう基地を離れる時間。日本のボランティアの方々は引き続き植林を続ける。お互いの住所を書き合ったり、写真を取り合ったり、抱き合ったり、泣きあったり、それぞれの別れを惜しんだ。ボクの史上最大のイベントが終わった。

帰りのバスの中、やり遂げたという達成感はなかった。ボクの心は別のところにあった。「第二の故郷、オルドスで自分は何ができるのだろうか。これから何をしなければならないのだろうか。」荒涼とした風景を見ながら、ずっと考え続けた。

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