社長・坂本毅の『バンベン日記』


 

2019,06,19, Wednesday 05:10 PM


オルドスは砂漠化が進んでいる。ちょうどボクの活動が始まった91年ごろから、東勝の北西150KMほどのところにあるクブチ砂漠に日本のNGOが入って、砂漠緑化を進めていた。

後にNHKの「プロジェクトX」などにも登場される鳥取大学名誉教授の遠山正瑛先生率いる「沙漠緑化実践協会」という団体。ボクはまたとないチャンスとばかりに、そのNGOの方々にボクの生徒たちとの交流を働きかけた。そして交流が実現するときがきた。

93年2月、早稲田大学の学生を中心とした「緑の訪中団」10名がクブチ砂漠での砂漠緑化の合間に蒙古族中学を訪れたいとの打診があった。

この頃になると、校長を始めとした学校の指導者たちも少しずつボクの活動に理解を示すようになってきた。共にオルドス式宴会を何度もこなしてきた仲、気心が知れてきたということもあるし、2年目からは特に用事がなくても時々校長室に顔を出したりしてきた。

まさに「継続は力なり」。こうした地道な努力が功を奏して、「緑の訪中団」との交流会に校長も興味を示してくれた。そして行動に移してくれた。当時の中国の学校で外国人との交流を行うには事前に教育局や公安局の許可が必要で、そういった手続きをきちんとやってくれた。

しかし、交流会というものの概念が大きく違っていた。校長の案では優秀な生徒10名と先生10名を選抜して、キチンとしたプログラムに則って進めていくというもの。ボクとしては何とか、100人の生徒全員が参加できる交流会にしたかった。日本語ができる生徒もそうでない生徒も、それぞれのやり方で日本の大学生との交流を楽しんでほしかった。

何回も話し合って、お互いの主張をすり合わせていくうちに、1日たっぷり使った、お互いに納得のできる交流会のスケジュールが出来上がった。

せっかく学校側が乗る気になっていたのに、肝心の「緑の訪中団」はその後、さっぱり音沙汰がない。彼らは中国のあちらこちらを旅して最後にオルドスに来る予定だった。こちらからは連絡のしようがない。3日前になっても、2日前になっても連絡がない。

のんびり屋の校長も半信半疑になってきた。「この我が校初の日本人との交流会を実現させるために、私もあっちこっちに頭を下げてきた。私の面子を潰すようなことだけはないだろうね。」どっと重圧がかかってくる。「緑の訪中団」からの打診はボクの夢の中の話だったのかもしれない、と思えてくるほどだ。

前日の昼休み。オルドスホテルから日本人が10人来たぞ、との連絡が入った。ボクは自転車を飛ばして、一目散にホテルへ向かった。

当日は午前8時から、学校側主催の歓迎会が校舎内の娯楽室で始まった。この交流会のために室内はきれいに装飾されている。モンゴル式の朝食の後、いきなり音楽の先生が登場。オペラ歌手も脱帽の圧倒的な声量でオルドス民謡を披露。特大の銀碗が学生に一人ずつ渡されていく。バイチュウによる手荒い歓迎。

しかしみんな大学生だったので、そこは若さで全部飲み干していた。一連の儀式や挨拶と生徒の歌や踊りなど、校長自らの司会の下、整然とした雰囲気の中、午前中の歓迎会は終わった。学校側の熱い持て成し振りにはただただ感謝するばかりである。

午後からは大学生にボクの51組と53組の2コマの授業に参加してもらうという形式をとった。教室は狭くて机がぎっしり置いてあるので、十分に動き回ることができない。引き続き娯楽室を使わせてもらうことになっていた。

堅苦しいことはぬきに、ざっくばらんに交流してほしかった。まずは51組の授業。早大生1人に5人くらいの生徒が群がり、自由に交流を始めたが、生徒のほうは明らかに固くなっていた。もともと、はにかみ屋が多い上に、初めてボク以外の日本人に会って、話し合わなければならないので、無理もない。

これは予想していたことなので、用意していた、ジェスチャーを使った「伝言ゲーム」をやってみた。「かえるがお酒を飲む」とか「ニワトリがズボンを脱ぐ」といった簡単なフレーズを順々に動作で伝えていくものだった。早大生2人、生徒2人交互に後ろ向きに並んでもらう。まず、早大生が生徒の一人を相手に懸命に蛙の飛び真似をする。生徒はキョトンとしている。焦った早大生は蛙泳ぎを始めるが、わからない。最後には「ケロケロ」と鳴きまねまでもして見せたが、ますます何のことかわからない。居たたまれなくなったのか1人の芸達者な生徒が助っ人として出てきて、蛙はこう飛ぶんだ、とばかりにピョンピョン勢いよく跳ねる。それにつられて早大生も跳ねる。この見事な競演にみんな大爆笑。その後彼らはまるで長年の飲み友だちのように、肩を組んで酔っ払いのふり。

これで見事に次に伝わった。それにしても動物の動作や鳴き真似は日本人とモンゴル族とではぜんぜん違う。モンゴル語のほうが音素が多いので、生徒の鳴き真似はより本物に近い。

このゲームですっかり緊張もほぐれて和やかな雰囲気のもと、会話・筆談が進んだ。「あいうえお」から教え始めた自分の生徒たちが、今、目の前で一生懸命日本語を使って自分の言いたい事聞きたいことを相手に伝えようとしている。この交流会は生徒たちにとっていい経験になったと思うし、日本の大学生にも好評だったが、ボクにとっても今までの活動のひとつの大きな成果として忘れることができないし、それからの活動の糧となった。

交流会も終わりが近づいてきて、早大生からの出し物。10人がびしっと並んでの校歌斉唱。応援団張りの振り付けとともに、「都の西北」を歌いだした。ボクの生徒たちはただ呆然とその成り行きを見ていた。「フレー、フレー、オールードース、フレフレ、オルドス、フレフレ、オルドス!」最後のコールが終わった。しばらくシーンとしていた。生徒も終わったとわかっていたが、どう応じていいのかわからず、とりあえずパチパチと力のない拍手をするしかなかった。

この場ではあまり受けなかったように見えた早大の校歌。しかし、早大生は自己陶酔状態。そして、実は生徒たちにも強烈なインパクトを与えていたのであった。それまでモンゴル族中学には校歌はなかったが、この交流会をきっかけに校歌を作る運動が巻き起こるという、思わぬ効果をもたらした。

最後に全員で「乾杯」を合唱して交流会を閉めた。続けて53組の授業も同じように進めて行った。それからマイナス10度くらいの厳寒のグラウンドで、早大生+ボクの生徒チームVSモンゴル族中学代表チームによるサッカーの試合。お互いに白い息を吐きながら、懸命にボールを追いかけた。そして、夜は学校側主催のオルドス式宴会。それにしても早大生は校歌がすき。この宴会を含め、この日4回も校歌を歌いまくり、モンゴル族中学に校歌という概念を植え付けていった。

もうひとつ、緑化のNGOということで、5本の苗木をいただいた。その時はまだ地面が凍っていたので、苗木は一時保管しておいて、4月の半ばに校舎の一番目立つところに植えて、大切に育てられている。気がつくと学校側も日本との交流に積極的になっていた。

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