社長・坂本毅の『バンベン日記』


 

2019,06,12, Wednesday 05:06 PM


学校側から指定された教科書は非常に使いにくかった。しかし当時中国の中学高校で日本語を学ぶ場合、必ずその教科書を使わなければならないとのことだった。

まあ、教科書はあくまでも日本語を教える上での1つに道具だと割り切って進めていったが、まったくこの教科書に触れないわけにもいかず、教案を考えるときはいつも苦しんだ。

まず文が読み物中心で会話調の文章があまり出てこない。時々極端に難しい表現が出てくる。初級の段階で普段あまり使わない単語がどんどん出てくる。

たとえば、毛主席・共産党・社会主義といった単語はだいぶ早い段階で出てくる。ちなみに「毛主席」という単語を練習しているとき、みんながいっせいに笑い出した。最初はなぜだかわからなかったが、モンゴル語で「モー(ハイ)」というのは「悪い」という意味になる。発音練習のときボクが「悪い主席」「悪い主席」と言っているようで可笑しかったのだそうだ。

また「間に合う」という単語の発音はモンゴル語の「私の父」という語句にそっくりだそうでそのときも笑いが起こった。

教え始めて1年半くらいのある課の本文は国民党との戦いに登場する英雄の物語。学習項目は「受身の表現」「条件の『なら』」など。日本で受身を教えるときの例文としては「足を踏まれる」せいぜい「犬にかまれる」といった程度だが、本文に出てくる受身の表現を取り上げてみるとかなり過激である。

まずその英雄は「敵に包囲された。」そして「逮捕された。」その後ある大きな寺で「拷問にかけられた。」拷問に屈しなかった英雄は「広場に引っ張り出された。」そして最後に「押し切りで首をはねられた。」のであった。

ボクはこの文に会うまで「押し切り」という言葉を知らなかった。このような文で日本語を教えなければならない。心が痛む。

「なら」の場合は次のとおり。英雄が拷問にかけられているとき、敵の隊長は机をたたきながら「お前は共産党員か。」と問いただす。英雄は胸を張ってきっぱりとこう言った。「私を共産党員というなら、私は共産党員だ。」

???この「なら」の用法は?。この「なら」を使って文を作らせてみると「私を高校生というなら私は高校生だ」とか「私を馬鹿というなら私は馬鹿だ」という文になってしまう。

この課では本文は少し読んで意味を理解するのに留め、「受身」や「なら」はまったく別の単語やフレーズで導入するしかなかった。

ほかにも抗日戦争についても出てきてしまい、さすがにこのときの授業はお互いに非常に気まずかった。

幸い自作のガリ版プリントで教えていたので、とりあえず本文はそのままプリントに写したが、会話文などはその都度自分で付け足して少しは運用力がつくように工夫した。

そして授業中は思想的なことには触れない、難しい表現は意味を確認するだけに留めるといった方法で対処していたが、やっぱりやりにくかった。

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