社長・坂本毅の『バンベン日記』


 

2019,06,07, Friday 05:22 PM


中国に来て1年で迎えた約1ヵ月半の夏休み。冬休みはずっとオルドスで「凍りついていた」ボクにとって初めての旅行の機会。広い中国を縦横に動き回るほかのボランティアたちをよそに、ボクは今回、内モンゴルに的を絞ってみたいと思っていた。

内モンゴルだけでも日本の3倍の面積がある。その上交通の便も悪い。とても行きたいところを全部回ることはできない。しかし今回の旅行で、西の砂漠地帯から東に行くに連れて草原が濃くなって、北東にある中国最大の森林地帯「大興安嶺山脈」へと繋がっていく地理をだいたい肌で感じることができた。

旅行に出て3日目の夕暮れ時、モンゴル国との国境の小さな町、エレンホトにたどりついた。ここまで来るのに、フフホトから列車で14時間。指定席ではないので、その半分以上は席に座れず、食事も取れず、フラフラの状態。早く宿を決めて、落ち着きたかったが、駅の近くの宿は全て満室。確かに町の規模の割には、人がごった返している。

途方に暮れていると、一人の男が「うちの宿に泊まらないか、1泊10元(約150円)だ。」と言ってくる。少し怪しげだが、このまま野宿するわけにもいかない。どんな宿か知らないが、疲れと飢えには勝てない。とにかくその男に着いて行った。西のほうへどんどん歩いて、町のはずれの民家に着いた。なんということはない。宿というのはその男の家だった。

エレンホトは自治区の経済特区になっている。東勝の5分の1ほどの小さな町。しかし国境貿易が盛んで、大量の商人や労働者が流れ込んでくるらしい。駅の周りは建築ラッシュだが、まだまだホテルなどの施設は少なく、外から来た人を収容しきれない。そこで、地元の人たちは自分の家を増築してせっせと民宿業を営んでいたのだ。

男のうちは3世代。彼の両親、妻、そして3歳になる娘。ボクが日本人だとわかると、あわてて、若夫婦の寝室を片付け、そこをボクに提供してくれた。彼らは庭に建てられた簡易住居で寝ることになってしまった。非常に申し訳なかったが、はるばる日本から来た客人を粗末にできないというので、ご好意に甘えることにした。個室に朝夕食事つき、シャワーも使えて、1泊30元(約450円)、安いものだ。その晩は、そこの家庭料理を堪能して、ボクの部屋にはないフカフカのダブルベッドに大の字になって、至福の眠りについた。

エレンホトには5日間いた。町は小さく何もないが、モンゴル人と中国人との交流が盛んで、西部の開拓時代のような熱気を感じる。モンゴル人はここで食料品や生活物資を手に入れて、モンゴルで高く売るらしい。中国人のお目当ては高価な毛皮やロシアや東欧の装飾品など。物々交換が基本である。それにしても珍しい毛皮がダンボールに入った飴玉と交換されていくのを見ると、哀れな気もするが、モノがあふれている中国と生活用品が不足しているモンゴルの国情を考えると仕方がないことかもしれない。

一度、1キロ1元(約15円)でジープをチャーターして、草原を回った。360度真っ平らな草原の中、ジープで駆け巡るのは非常に気持ちがいい。しかし、遠くを見ると確かに緑の草原だが、足元に目をやると草はぽつぽつとしか生えてない。ここでも砂漠化が進んでいるんじゃないかと心配になる。

ずっとジープを走らせると巨大な塩湖が出現した。もともとこの辺は海で、恐竜の生息地でもあった。その恐竜の化石がごろごろしているところを案内してもらった。確かに目を凝らして地面を見てみると、恐竜の爪や小骨の化石がぼろぼろと見つかる。この地下には何頭もの恐竜の化石が丸ごと埋まっているそうだが、資金がないので引き上げることができないそうだ。

帰りがけ、ある牧民のうちを訪ねた。丸い移動式テント「ゲル」で生活していた。オルドスではもうほとんどゲルで生活している人はいない。突然、訪ねたにもかかわらず、迷惑そうなそぶりは見せず、ミルク茶やチーズ、バターなどモンゴルの食品でもてなしてくれた。そこの家族は中国語が話せない。ほとんど笑顔だけのやりとりに終始した。乾燥した牛の糞で火を起こし、風力発電でテレビを見る。自然にやさしい生活をしていた。

夕暮れ時、ボクらはゲルを後にした。夕日に真っ白なゲルが照らされ、平原に長い影が伸びている。ゲルの煙突からは白い煙がまっすぐ立ち昇っていた。5年後も10年後も砂漠化に負けず、ずっと、この平和な営みを続けられたらいいな。そう思った。

その後、エレンホトから長距離バスで丸1日かけて、草原の町シリンホトへ。その後、北京経由で内蒙古の北東、大興安嶺山脈の麓で細々と暮らしている狩猟民族オロチョン族の里に行った。そのまま、南下してハイラール、少し西へ行って、今後はロシアとの国境の町、満州里まで足を伸ばした。

ある時は満員列車並みに込み合った車内で体がねじれたまま何時間も身動き取れずに、ひたすら耐えていた。また、ある時は小さな村で夜を迎え、適当な宿が見つからず、仕方なく中国人に成りすまし、1泊3元の土間のたこ部屋で荒くれどもと夜を明かした。切符を買おうと駅で並んでも、横からどんどん人が割り込んできていつまで経っても買えないこともあった。

北緯50度を超える地にあるオロチョン族の里に午前3時に着いたときはどこにも行き場がなく、駅の広場で寒さに凍えながら、朝日の出て来るのをひたすら待った。中国での旅行は楽じゃない。どこかに行こうと思うとそこの景色より、移動の辛さが真っ先に頭をよぎる。それでも重い腰を上げてしまうだけの不思議な魅力が中国の旅にはある。そう悟った1ヶ月の旅行だった。

*こちらもご覧ください!黄砂を止めよ!砂漠を緑に!~「塩を売って緑を買う男」15年目の挑戦~
https://camp-fire.jp/projects/view/156785


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