社長・坂本毅の『バンベン日記』


 

2019,04,19, Friday 04:27 PM




【原点回帰・オルドスの風】
~塩を売って緑を買う男の始まりの物語~

第3回:学校の様子

翌朝、頭が割れそうに痛い。

オルドスに来る前に北京で1ヶ月間、語学を中心とした訓練があった。

しかし、ボクには語学以外に訓練しなければならないものがあった。それはバイチュウ。先輩のボランティアから「内モンゴルではバイチュウが飲めなければやっていけない。」そう脅されたボクはすぐにスーパーに行き、バイチュウ売り場へ直行した。どうせ味はわからない。安いのでいいや、と一番安いバイチュウを買って帰った。

その日の晩、寝る前にバイチュウのキャップを開けた。そのキャップにバイチュウを注ぎ、一口、グイッとやってみた。化粧品と洗剤を混ぜたような味、強烈な匂い。みるみる冷や汗が出てきて、そのままフラフラとベッドに倒れた。

次の日はかなりの高熱が出た。その上腹痛。その日の語学の授業は休まざるを得なかった。

「酒を飲んで学校を休む」それまでまじめに取り組んできたボクにとって、拭い去れない汚点となった。

実際安物のバイチュウほど怖いものはないらしい。いろんなものが混ざっていているそうだ。その経験がトラウマとなってバイチュウは全く飲めなくなっていた。そのボクが昨日は何杯バイチュウを飲んだことか。

その日は二日酔いの状態で学校を案内された。まず4階建ての校舎を見学。まだ夏休み中なので生徒はいない。2階の西側の端に「日本語教師弁公室」と書かれた部屋があった。中は6畳くらいで、机と本棚とベッドが置いてあった。

ベッドには違和感があったが校長の執務室にもあった。中国では昼休みが長いからときどき執務室のベッドで横になるらしい。ボクは校長並みの待遇に満足した。

そしてグランド、生徒の寮、講堂、食堂等を回った。ここの生徒のほとんどは何百キロも離れたところの牧民の子供たちで学期中はずっと寮で生活する。広いグラウンドを挟んだ更に西側に教職員用の住宅があった。

「ところでボクの住むところは?」と切り出すと校長が「さっき案内したじゃないか」と言った。「えっ???」しばらく考えて悪い予感。そう、さっき見た校舎のボクの弁公室がそのまま住むところになるらしい。でもさっきの部屋はトイレも風呂も水道すらない。「心配するな。トイレは校舎から100メートル歩けばある。風呂は自転車で10分のところにある公衆浴場に行けばいい。君のためにちゃんと自転車を買っておいた。」と校長はとても慰めにはならない説明を続けた。

「でも校舎に住むんですか」と控えめに訴えると「君が突然来たんだから仕方ないじゃないか。でも心配するな。
2、3ヶ月後には君のために家を建ててやるから。」

なにもボクは突然来たわけではない。ちゃんと公的な国際ボランティアとして両国政府の協議のもと派遣されているはずである。

文句は言いたいが、今後2年間お世話になるところ、険悪な関係にしたくない。とりあえず、しばらくの間校舎に住むしか選択肢はなさそうだ。

その後、会議室でボクの仕事のことについて、話し合った。内モンゴル自治区には10数パーセントのモンゴル族がいて、モンゴル語で教育が受けられるモンゴル族中学が各地に存在する。そしてこの学校もそのひとつ。「中学」とあるが、日本の中学と高校が一緒になったような学校だ。

そのなかでボクは高級中学(日本の高校にあたる)の1年生4クラスのうち2クラスを4コマずつ計8コマ教えることになった。1クラスは50人、みんな日本語学習暦はない。どうやって日本語を教えたらいいか、なかなか見えてこない。

校長に日本語の学習目的を聞いても、よくわからない。北京から同行してくれた李さんにもう一度確認してもらった。「モンゴル族中学ではモンゴル語が母語の役割、漢語が外国語の役割を果たす。英語や日本語など本来の外国語は大学入試には関係ないが、外国語教育を取り入れることで生徒の向上心を高めることができる。外国語は英語でも日本語でもロシア語でもいいが、特に日本語はモンゴル族の生徒にとって文法などが似ているので学びやすい。今後は日本語教育を重視していきたい。」ということのようだ。

いわば、日本の高校で第2外国語として韓国語を学習するようなものか、と勝手に解釈した。

もう一つ心配だったのが、生徒は中国語を理解できるかということ。これについては「モンゴル族の生徒も小さい頃から中国語の学習をやっているので、基本的には問題がない。ただ、漢字の書き間違いが多く、中国語の作文などは漢族の生徒と比べるとだいぶ劣る。」ということだった。

ボクは訓練中、中国語しか勉強していなかったので、少し安心した。といってもボクはその時中国語で簡単なあいさつくらいしかできなかった。生徒よりボクの中国語を心配するべきだった。

学校側との話し合いも終わり、同行していただいた李さんがジープに乗って、去っていった。人と別れる時これほど心細くなったことはない。置き去りにされた感じ。しかし、ここからが本当の意味でのボランティア活動のスタートと言える。「知らない街での生活」が始まった。

夜は再び宴会があった。だいたい同じメンバー。内モンゴルは中国でも酒で有名。名酒で有名なのではなく酒豪で有名なのだ。その中でもオルドスといえば他の地方の人が震え上がるというほど豪快に酒を飲むという。

またもや失望と泥酔の中、2日目の幕が閉じた。
*写真は文革時代に作られたという講堂



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