社長・坂本毅の『バンベン日記』


 

2011,09,13, Tuesday 05:07 PM
3月11日の大地震と津波の映像を見て「いつか行かなければ・・・」とずっと思っていた。

でも一方で僕が行っても何もできないという無力感も。

震災後半年近く経って青年海外協力隊OBの組織「JOCA」から震災ボランティアの募集が・・・。

「行くしかない。」結局「役に立つ」かどうかより、「行きたい」というシンプルな気持ちを優先させることにした。

とにかく現地ではパンパワーそして動きまくり、少しでも現地の人々とのつながりを作る。そしてできればビジネスを通した継続的なつながりができれば・・・。

5日の16時に出発。学生25名、社会人10名の若手中心の「災害ボランティア九州協力隊」が目指すは宮城県気仙沼市大島。タンクから重油が漏れ、大火災を引き起こしていたところ。津波の被害も甚大だ。行く前から身が引き締まる。

日程は6日間。24時間のバスの旅を経て現地へ。現地での活動時間は2日半。また24時間かけて福岡に戻る。バスは普通の観光バス。4列シートでトイレもない。2時間おきにトイレ休憩(時間によっては食事タイム)がある。

バスの中では自己紹介やちょっとした出し物もあってあっという間に12時の消灯時間。ここからが長い。なかなか眠れない。現地でのボランティアをイメージしているうちに少しだけ眠ったようだ。

新潟の日本海を見ながら朝を迎え、会津磐梯山などを経由し、15時に気仙沼港へ。ここでバスからフェリーに乗り換え。

ここら辺はまだまだ震災の爪痕が残っている。ところどころ重機が入ってがれきの撤去をやっているが、まだまだ時間がかかりそうだ。

フェリーに乗って20分。大島の港に着いた。港のすぐ前にがれきの山が・・・。

フェリーを降りて小型バスに二陣に分かれて乗り込み、3日間お世話になる民宿「海鳳」へ。ここは少し高台にあって津波の被害は免れたようだ。

夕食まで自由行動。民宿の女将さんに海に行く道を教えてもらったので、学生たちと行ってみることに。

少し降りると家ごと流され土台だけが残っているところがあちこち。標高10数メートルが運命の分かれ道に。海岸に行ってみると砂浜がほとんどない。いつもは夏海水浴客でにぎわっているところ。地盤沈下で沈んでしまったのか。

近くの小型灯台は傾いたまま。海岸沿いの舗装道路は途中で寸断されていた。松原もほとんど流されたのかまばらになっている。ところどころ塩害で枯れている。

高台のほうに上ると小学生が下校中。バスも通っている。復旧がままならない中でも日常生活は始まっていた。震災半年後の現実をしっかり脳裏に焼き付けた。

さくっと入浴。18時半から夕食。魚料理を中心のかなりのボリューム。地元のものはまだ手に入らないとのこと。気仙沼ではサンマ漁が再開されたばかり。これから名物のマツタケも収穫できるとのこと。今後徐々に地元の食材が並ぶことになるだろう。

20時から女将さんが震災時のことについて話していただいた。一つ一つの言葉が重い。しかしあくまでも明るく語っていただいた。「震災で辛い思いをしたけど、震災がなければ皆さんに会うこともなかった。こういった縁が有難い」と気丈に語っていたのが深く印象に残った。

その後、津波の時に撮られたビデオを見た。テレビのように何秒かに編集しているものではなく、ほぼノーカットで津波が襲ってくるまでのリアルな映像。かなりショッキング。

その後、ビールを飲みながら軽く懇親会。12時には終了。1部屋4~6人。川に字に敷かれた布団に吸い込まれる。明日に備えてバスの旅の疲れをゆっくり癒した。


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