社長・坂本毅の『バンベン日記』


 

 
2019,05,03, Friday 04:49 PM


ボクの部屋は校舎の2階の西の隅っこにある6畳ほどの空間。窓からの眺めはいい。運動場がよく見える。特に朝7時から全校生徒がクラスごとにグラウンドを3周走る姿と、午前中2時間目と3時間目の間に全校生徒が教室から一斉に出てきてラジオ体操のようなものをやっている姿を見るのが好きだった。

しかし、ボクの部屋にはトイレ、シャワーはもちろん水道すらない。毎日、朝一番の日課は水汲み。20リットル入りのポリバケツを持って校舎から200メートルほど行ったところにある食堂のそばの水場に行って汲んで来る。その水を電気湯沸かし器で沸かしてお茶を飲んだりもすれば洗濯もする。髪を洗ったりもする。日本では考えられない生活だが、人間大抵のことは慣れるもので、そんなに大変とは思わなくなった。

ただどうしても慣れなかったことがあった。それはプライベートが保てないこと。私の部屋のはす向かいは51組の教室になっていた。部屋を出て4歩半で着く距離にある。そして生徒のほとんどは寮生活をしている。学校の規則はとても厳しく、朝6時には教室に入って自習をしなければならない。

田舎の子は早起きだ。早い生徒は5時半ぐらいには教室の前、つまりボクの部屋の前に集まって教室の鍵が開くのを待っている。生徒たちはボクが寝ているのを知っているからけっして大きな声で騒いだりはしないのだが、小さなささやき声がかえってボクの耳を刺激して目を覚ますことになる。

夜も7時半から9時半までは自習時間。だいたい教室のドアは開けっ放しになっていた。ボクは部屋のドアをいつも閉めていたが、夜の自習のシーンとした張り詰めた空気が伝わってくる。生徒の咳払いや鼻をすする音も聞こえてくる。何だか鉛筆を走らせる音まで聞こえてきそう。ということはこちらが出す音も間違えなく生徒たちに筒抜けになっている。うっかり鼻歌も歌えない。ただ静かに本を読んだり、授業の準備をしたりして夜をすごした。

時々他の先生がボクの部屋を訪ねてくる。用事が済んだ後、だいたいボクは質問攻めに会う。「東京人か?」「家族は何人?」「歳は?」「日本人は何を食べるんだ?」「富士山に登ったことはあるか?」「高倉健に会ったことはあるか?」「中国は好きか?」、、、。そして彼らの質問はどんどんプライベートなことへ向かっていく。

「恋人はいるのか?」小さい声で「いません」とボク。そうすると待ってましたとばかりに、「えっ、25歳になってもまだ恋人がいないなんて信じられない。ここではほとんど25歳くらいには結婚しているか、相手が決まっていなきゃいけない。」「俺が紹介してやろう。」「好きなタイプは?」「・・・。」「いくつくらいの子がいいんだ?」「・・・。」「そう恥ずかしがるな。やっぱり若い子がいいんだな。今度紹介してやるから。」

田舎の先生はとにかくおせっかい。そして声がでかい。静かな部屋で2人で話しているのに、まるで100メートル離れた所にいる人に向かって叫んでいるかのようだ。当然内容はすべて自習をしている生徒たちに筒向けだ。笑いを堪えて自習をしている生徒たちの姿が思い浮かぶ。本当に早く帰ってくれるのを祈るしかなかった。

時々、そのまま酒を飲みに行こうと連れて行かれる羽目になるが、だいたいは質問攻めがひと段落すると先生たちは満足して帰っていく。そしてまた、静かに時間を過ごす。

そうこうしているうちに9時半。終了のベルがけたたましく鳴る。生徒は一目散に寮へと戻っていく。その後、掃除当番が教室をはいてゴミを廊下の所々にためておく。生徒たちはその日学んだことを紙に書いては丸めて床に捨てる。その大量の紙くずが廊下の所々に集められる。

やがて廊下を掃く音も聞こえなくなり、校舎中が不気味な静寂に包まれる。一階に門番はいるが2階に住んでいるのは当然ボクだけ。一人暮らしには慣れていたが、一人の夜がこんなに心細く感じられてことはない。さっさと布団の中にもぐりこんで無理やり寝てしまうしかなかった。

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