社長・坂本毅の『バンベン日記』


 

2019,05,20, Monday 05:03 PM



オルドスでの生活が進むにつれて、学校以外にも友人ができていった。その中でもカシミヤ工場の数人の日本関係スタッフや旅行社の人などは日本語が話せたので何かと面倒を見てくれて、本当に心強かった。日本語のことを重視してくれない学校の先生たちに比べて、ボクのことをよく理解してくれた。何より日本語で交流できるのがうれしい。

ある日の夕方、旅行社の日本語を話せる人がボクを誘いに来た。「日本のビデオが手に入ったから見に来ないか。」喜んでその人のうちに向かった。舗装されていないがたがた道を自転車で15分、その人のうちに着いた。その人は日本留学経験があり、日本のこともよく知っている。そこで奥さんの手料理をつまみながら、日本のビデオを見た。ビデオの中身は日本のTV番組。バラエティーやドラマなど3時間ぶっ通しで見た。久しぶりの日本の番組だった。特にCMが面白くて懐かしい。

ビデオを見終わってからも日本の話や学校での愚痴もいろいろ聞いてもらった。本当に居心地がよかった。いろいろ話をしているうちに深夜の1時を回ってしまった。「今日はうちに泊まっていけば。」その言葉に甘えて、その夜はそこに泊まることにした。

次の朝、部屋に戻ってみるとドアの下の隙間に手紙が挟まっていた。校長からだった。「君の安全のために夜7時以降は学校の外に行かないように・・・。」非常に頭にきた。僕の仕事のことはてんで無関心なくせに安全のことでボクのことをこの学校に縛り付けようとしている。その後も時々外泊したり夜遅く帰ったりしたが、学校にばれないように部屋の電気をつけたまま出て行ったりいろいろ工夫した。しかし、ばれて校長に注意されることもあった。なんだか反抗期の少年のようで情けなかった。守られているというより監視されているという束縛感が更にボクを学校の外へと向かわせた。

深夜、一人で自転車に乗っての帰り道。治安は悪くなかったので人に襲われるという心配はなかったが、なんせ街灯もなかったので月の出ない夜は文字通り真っ暗である。怖いので、自転車を思いっきり飛ばしていた。突然、前輪が何かにスポッとはまってしまい、ボクは自転車ごと前方宙返り。背中から地面に叩き付けられた。一瞬何が起こったのかわからなかった。幸い背中から落ちたので怪我はなかったが、ちょうど柔道の巴投げを食らったような感じだった。

よく見ると舗装された道路に丸い穴が開いている。聞くところによると、マンホールの蓋を盗んで鉄屑屋に売り飛ばす浮浪者がいるらしい。ハンドルが曲がってしまったので、その夜は暗闇の中を自転車を押して帰った。

次の日、校長に呼び出された。きっとまた注意されるのだ。こっちも「自由にしてくれ」といってやろうと腹をくくっていたが、校長室に入ってみると「君もいろいろ友だちがいるみたいだから、しょうがないね。ただ、こちらとしても責任があるから夜出かけるときにはせめて、だれか先生にどこに行くか伝えてくれないか。そして夜は絶対に独りになってはいけない」いつになく下手に出てきた。そして本当に困り果てているという表情がありありと浮かんでいた。「わかりました」何らかの妥協が必要なときだった。

それからボクは夜出て行くときは誰かに言うようにした。また、行き帰りは一人にならないように送り迎えを友人に頼んだ。そして校長はボクの「夜遊び」をいちいち注意しなくなった。こういうもの信用の問題である。ある程度経ってくると、いちいち人に出かけることを言わなくてもよくなったし、場合によっては一人で出かけることもあった。ただ、何かあったときは、多くの人に迷惑がかかるので、安全には十分注意した。本当はこの学校で夜気ままに過ごせる場所が必要だと感じるようになった。

そして「校長とも仲良くしなければ・・・。」

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2019,05,19, Sunday 01:40 PM



赴任のときに校長が言っていた「ボクの家」は全く建つ気配がない。生徒用の教科書も買う気がないようだ。ここで言う「2、3ヶ月で用意する」というのは日本の「前向きに検討する」というのといっしょで「やらない」ということだと悟った。日本語などどうでもいい、とにかくボクを無事に日本に帰すことだけを考える学校側の態度に強い不満を持っていた。

中間テストの時期、日本語もテストをやるのか教務主任に聞きに行ったことがある。「もちろんだ。」と言っておもむろにカレンダーを見て「13日の午後にしよう」と言ってくれた。それまでちょうど1週間しかない。次の日さっそく試験のことを生徒に伝えた。生徒たちにとっては始めての外国語の試験。日頃まじめにやっている生徒がいい点を取れるようにしたい。

試験3日前にガリ版で試験問題を書き終え、印刷室に持っていったらちょうど印刷を担当しているおばさんが中間試験の日程を印刷していた。1枚もらって見てみると13日は午前が漢語、午後がモンゴル語になっていた。日本語がどこにもなかった。急いで教務室に言って主任に正してみると、「じゃ日本語は12日の午後にしよう」とあっけらかんと言ってきた。本当に人を馬鹿にしていると思ったが、笑顔で「それでお願いします」と言って帰った。本当に12日の午後にテストができるのか、不安が残る。心配しても仕方がない。どうせ日本語は必修科目ではないのだからと割り切り気楽にやっていくしかない。そして、これからはこの主任とも連絡を密にしないといけないと思った。

12日の朝、念のために試験のことを確認に行くと何の手配もしていない。それどころか「日本語の試験は13日の午後だ」といってきた。13日の午後はモンゴル語になっているのに何を考えているのか。第一、生徒には始めに13日の午後と言ったが、3日前に12日の午後になった、と言い直した。だぶん今日に備えて準備をしているに違いない。当日になって13日とか14日になったら、生徒の負担が大きくなる。ボクも教師として面子が丸つぶれだ。結局、なんとかお願いして12日の午後にやることになった。しかし学校側にとってまったく日本語のことが眼中にないことがよくわかった。2クラス同時にやるので、53組をボクが担当、51組は同僚の先生に試験官をお願いして何とか実施にこぎつけた。


昼休み、食事の後部屋で本を読んでいると、51組の教室がやたら騒がしい。「お父さん」「お母さん」「わたしは田中です。」「これは鉛筆です」・・・。いろいろな日本語が聞こえてきた。「お名前は?」なんて言い合っている。そこは出ないから数詞を覚えろ、と言いたくなる。生徒たちは学校側から見放されている日本語、大学入試に関係ない日本語をこんなに真剣にやってくれている。涙が出そうになった。

テストの結果は平均80点を超えていた。

次の学期から日本語のテストは1学期に1回、中間テストと期末テストの間にやることにした。どうせ日本語の点数は生徒の成績には関係ない。また、テストのことで気をもむのはいやだったし、そのほうが生徒の負担を軽減できるから。それより今後どうやって学校側に「日本語」をそして「ボクの活動」を意義のあるものとして認知してもらうか。これはこちらから少しずつ働きかけるしかなさそうだ。


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2019,05,16, Thursday 05:03 PM


授業は相変わらず快調に続けていったが、毎回同じ流れで進んでいた。新出単語の紹介、文型練習、応用練習、本文音読、最後にその日の学習項目のまとめ。少々ワンパターン気味。
45分間に少し変化を持たせたいと思い、日本の歌を紹介することにした。日本の歌は演歌からJポップ、童謡までいろいろな種類のテープを日本から持ってきていたが、最初にどの歌を紹介するか、悩むところである。

本当は日本の高校生が好むようなJポップやアイドル系の歌を紹介したかった。日本で流行っているからといってこちらの生徒が好むとは限らないが、同じ世代の日本人が好む曲を知ることが異文化理解につながるのでは、と思ったからだ。

しかし、彼らはもともと日本に興味を持って日本語を学習しているわけではない。日本の歌を紹介して「なんだこれは?」と思わせてしまったら、結果的に彼らの日本語学習意欲も削いで逆効果になってしまう。ここは慎重にならざるを得ない。まず、ボクの部屋によく来る何人かの生徒たちに日本の歌を聞かせて反応を見た。一番反応のいい歌を最初に教えよう。

アイドル系の歌にはみんな興味を示さない。Jポップ系は個人差が激しい。全員に好評だったのが、なんと「北国の春」。日本の高校生がこの歌を聞いているとは思えないので、少々不本意ではあるが、これで行くしかない。さっそくガリ版に歌詞を書き込んだ。ここの生徒は知らなかったが、この歌は中国でもよく歌われていて、中国語の歌詞もあるので横にそれを書き加えた。

まず、53組の授業。大きいカセットテープレコーダーを持って教室に入ってので、生徒たちは何が始まるのか興味津々といった様子。授業はとても気合が入っていた。そのまま授業の終盤まで引っぱって、終了5分前、おもむろに歌詞を配った。初日はとりあえず聞かせるだけで終わる予定だった。

予想を上回るインパクトがあった。授業が終わって、何人かの生徒が教壇に押し寄せた。その場でボクの下手な「北国の春」を聞かせる羽目になった。

51組でも好評で、夜の自習が始まるまでの時間、生徒が続々とボクの部屋にやってきて一緒に歌った。オルドスの生徒はもともと歌が大好き、ほとんどの生徒が親元を離れこの学校で寮生活をしている。「北国の春」は故郷に対する思いが人一倍強い生徒たちの心を確実に掴んでいった。その後この歌を1ヶ月にわたって授業の合間に聞かせ続けた。1番だけはみんな歌えるようになっていた。日本語学習の動機付けにもなったみたいで、非常に効果的だった。

この学期に計3曲、日本の歌を教えた。「北国の春」の次に教えた歌は「四季の歌」。これも中国では有名な歌で、中国語以外にモンゴル語の歌もある。この歌は元々生徒もモンゴル語で歌えるので、すぐに日本語でも歌えるようになった。その次に教えたのは「昴」。次の学期には「星影のワルツ」「与作」・・・、と果てしなく演歌の世界に入っていく。ポップスやアイドル系の歌はダメだとボクが勝手に判断してしまっていた。

そして、それまではごく一部の生徒だけがボクの部屋にやってきていたが、歌をきっかけに部屋を訪れる生徒が増えていった。一緒に歌を歌ったり、日本語の練習をしたり、日本のこと世界のことについて筆談を交えていろいろ話をすることもできた。

日本の歌は授業のほかボクの生活にも彩を添えていった。



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2019,05,09, Thursday 06:52 PM


オルドスの冬は寒い。冬の最低気温はマイナス15度くらい。時にはマイナス30度にもなる。それにとても風が強く、体感温度はさらに低い。

気をつけなければいけないのは、「寒流」が来るとき。突然風が強くなり、数時間で気温が十数度下がる。風が強い日に出かけるとき、同僚から「耳を落とすなよ」とよく言われたものだ。しっかり耳当てをしていないと本当に落ちてしまうらしい。

そして寒さよりいやなのが「砂」。風が吹くと近くの砂漠からすぐ砂が飛んでくる。大粒の砂は顔に当たって痛い。目も開けられない。それと細かい砂もたくさん飛んできて、服の上からどんどん中へ入り込む。部屋は2重窓だが、そこにも容赦なく入り込む、何だか毛穴のなかにも入ってきそうで息苦しい。

校舎はお湯を循環させる集中暖房があるので、昼間、部屋にいるときは問題ない(夜は暖房が冷めてきて、心もとないが・・・)。何といっても外に出るときが大変だ。服を何枚も着込んで、耳が隠れる毛皮の帽子をかぶり、厚手の手袋をはめ完全装備で出かける。

強い風の中必死に自転車をこぎながら、町へと向かう。ところどころ道路が凍結していたが不思議なことにその上を通ってもあまり滑らない。あまりの寒さそして乾燥のため氷が大理石のように硬くしまっていて、滑りにくいのだそうだ。そしてマイナス10度を越えると鼻毛が凍るという現象も経験した。銭湯から帰るときは髪が完全に乾いてないので、髪の毛が凍ることもあった。

しかし冬、自転車に乗って町に出かけるのは週に1回か2回。最も深刻なのは排泄問題。冬の公衆トイレはとても寒い。おしっこはすぐには凍らないものの、穴の周りは黄色い氷が張っていて、穴の下側には立派な黄金の氷柱ができている。そして穴のそこには茶色いシャーベット。

こんなところで大のほうをするのは至難の業だ。トイレであまり粘っているとお尻が霜焼けになってしまう。そこで苦肉の策。校舎からトイレまで100メートルくらいある。その距離も考慮してギリギリまで我慢。「いまだ」と思ったら、トイレに急ぎ、しゃがむと同時に出してしまうのだ。

しかし、毎回うまくいくとは限らない。しゃがんではみたものの、下から吹き上げる風のため出るものが引っ込んでしまい、仕方なく部屋に戻る空しさと、トイレへと向かう途中に先生や生徒に話しかけられる苦しさを何度となく味わった。

日本語を教え始めて、3ヶ月くらい経ってから、ボクは時々生徒たちに日本のビデオを見せるようになった。聴解力を高めることもできるし、日本事情を説明するのにも有効、そして何より、日本語学習の動機付けになる。

いいこと尽くしだが、ビデオを見るためには別棟の化学実験室に行かなければならない。事前に別棟のカギを管理している職員にビデオを使うことを伝え、その時間に開けてもらわなければならない。

雪の降った次の日の授業。ビデオを見せることになっていた。生徒たちも楽しみにしていた。授業が始まる前に別棟に行ったら、すでに生徒たちが集まっていた。カギを管理する職員はまだ開けに来ていないようだ。みんな寒い中、その職員を待った。

だんだん足が冷えてくる。手が悴んでくる。足元には雪が積もっていた。乾燥しているオルドスでこれだけ雪が積もるのは珍しい。みんなうずうずしてきた。一人が誰かめがけて雪を投げつけた。これをきっかけに雪合戦が始まった。

ここの雪はさらさらのパウダースノー。おにぎりのように手で捏ねてもなかなか固まらない。雪の玉をぶつけるというより、砂をかけ合うような雪合戦が別棟の周りで繰り広げられた。
カギを管理している職員は結局来なかった。いつもなら怒り心頭で抗議に行くところだが、この日はボクも子供に返ったようにひたすら雪を投げていた。

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2019,05,08, Wednesday 04:58 PM


オルドスの人の娯楽というとなんと言っても映画。ボクもよく先生や生徒や学校以外の友人に誘われて映画を見に行った。

冬のある日曜日。夕食を終えて、男子生徒たちに誘われて映画を見に行った。時々生徒や先生に映画券が配られる。金を払っても1元か2元だが、その時はただで映画が見られる。

街のメインストリートに面した、東勝で一番大きな映画館に行った。けっこう広い。1000人は入れそうだ。そしてけっこう席が埋まっていた。椅子は木でできていた。2時間も座っているとお尻が痛くなりそうだ。何よりも暖房が効いていない。

待ち時間にはひまわりの種を食べる。生徒のポケットにはいつでもこれが入っている。ちょっと暇があるとすぐ取り出して食べる。中国では暇なとき割って食べるから「暇割」か、と思うくらいいつでも出てくる。「センセイ、どうぞ」と一掴みもらった。生徒たちはひまわりの種を口に放り込むと歯でぱりっと殻を剥き、あっという間に殻だけ外に吹き出す。リスにも負けない速さだ。ボクは一つ一つ割って手で身をつまみ出し時間をかけて食べるしかない。

突然、電気が消えた。真っ暗である。通路灯もなく、文字通り真っ暗。寒いし真っ暗だしまるで野外で映画を見るようだ。みんな話をやめてスクリーンのほうを注目する。ひまわりの種を食べる音だけが場内に響き渡る。けたたましいベルの音を合図に映画が始まった。タイトルは「血滴宝石」、泥棒3人組が、殺人事件に巻き込まれ、濡れ衣を晴らすために警察に追いかけられながらも真犯人をつきとめるというよくあるパターンの喜劇。途中まではけっこう笑えたし、展開が面白かったが、最後はどたばたで終わってしまった。

それより映画館の館内の様子のほうが興味深かった。館内では終始例のひまわりの種を食べる音が響き渡る。私語も多い。隣に座っている生徒たちもボクにわざわざ日本語で「センセイ、面白いですか。」と聞いてくる。周りの注目を浴びる。ここでは日本語で「センセイ」と言えば、ボク個人のことを指す。他の日本人を知らない、日本語で話しかける相手がいない彼らにとって、「センセイ」とはボクのことは指す「固有名詞」になっていた。

館内は限りなく氷点下に近い。スクリーンの光に観衆の白い息が浮かぶ。足先から冷気がじわじわと昇ってくる。とても映画に集中できる状態じゃない。寒さを忘れるためか、常にざわついている。みんな本当に映画を見ているのかと思うくらい騒がしいのだが、笑う場面では必ず、思いっきりよく笑う。悪者がやっつけられると拍手が起こる。館内に一体感が漂う。

この映画の後半にちょっとしたハプニングが起こった。突然映画が中断したのだ。すぐ停電だとわかったが何のアナウンスもない。徐々に館内が騒がしくなった。ピーピー指笛を鳴らす人、木の椅子をドンドンたたく人。真っ暗な中で、いろんな音が響き合いなんだかとても幻想的だった。

しばらく経って何の前触れもなく映画が再開された。するとみんな何事もなかったかのように、ボリボリひまわりを食べながら映画を見て、笑ったり拍手したり、「感情を素直に表現できていいな」と思った。

映画が終わるともう門限の9時半が迫っていた。「センセイ、さようなら」と言って、生徒たちは走りだした。ボクはゆっくり歩いて帰ろうと思ったが、冬の夜、風はないがとても寒い。ボクも生徒たちに追いつき一緒に走って、学校に戻った。

オルドスでは香港映画やインド映画が人気だった。学校の先生や生徒全員で見に行く必修の映画もある。だいたい周恩来などの英雄を扱ったものだ。生徒などと一緒に映画を見に行くのはいいが、ストーリーの中に日本人が悪役となって出てくるものもある。日本人がやられて周りは拍手喝采、でもボクは何とも言えないいやな雰囲気を味わう。

だいたいボクを誘うときは「戦争モノ」とかは避けてくれる。だが、映画はサスペンス風のもので人が次々と行方不明になっていく展開だったのに、気づいてみると事件はすべて日本の軍隊の仕業で後半は日本軍を徹底的にやっつけるというストーリーに変わって、誘った友人も誘われたボクも気まずい思いをしたこともあった。

ただこれも経験と割り切ってそんなことがあってもめげずに誘われたら積極的に映画を見に行ったものだ。そして中国語や日本語でいろいろ感想を言い合うのが何よりも楽しみだった。


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