社長・坂本毅の『バンベン日記』


 

2019,09,03, Tuesday 06:23 PM


8月25日(日)

8時半に那珂川の妻の実家に健を預けて妻と2人で天神のフォーラム会場へ。

今年で11回目となる九州ビジネスフォーラム。確か2009年の第2回の時に面白そうだということで参加。第3回の時はプレゼンをさせてもらい、そこからソーシャルビジネスのつながりが広がり、バンベンの売上・知名度も上がっていった。とても有難いイベント。

以後、ほとんど毎年参加しているが、今年は久々にプレゼンの機会も与えていただいた。

今年はプレゼンテーターが36人。9:30から19:00までと長丁場。これだけ長いと途中で飽きたりダレたりするだろうと思いきや、皆さんやっていることが面白い。素晴らしい。それぞれ個性的でずっと聴いていても飽きない。バンベン事業に参考になる。自分の存在が小さく感じられる。

僕の出番は最後のほうの17時すぎから。妻は途中で帰ってしまった。いろんなお話を聞いてお腹いっぱい&フラフラな状態。しかも30分以上ずれ込んで17:45からとなった。

それほど緊張はしてないが、なんだかぼっとした感じでスタート。持ち時間は20分。今回はこれから本格化する小城での取り組みを中心に話したかった。モンゴルの話は5分で終わらせる予定が調子に乗って10分超過。後はバタバタしてしまい、しかも動画や音楽がうまく作動せず、やや消化不良な感じで終わってしまった。

ただ、それなりにインパクトはあったようで、その後の休憩時間に展示ブースに置いてあったバンベン商品もけっこう売れてたくさんの方と名刺交換ができた。

その後、19時半までフォーラムが続き、近くの居酒屋でお待ちかねの懇親会。ここでは他のプレゼンテーターの方々ともゆっくりつながることができた。

何倍のビールを飲み干しただろうか。中締めが終わって、お店のご厚意で23時まで最後の数人で飲み倒した。

この夜も妻の実家へ。まだまだ九州にはつながるべき人がたくさんいる。そう思い知らされた長く深い1日だった。

| 勉強会、飲み会 | 06:23 PM | comments (0) |
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2019,08,02, Friday 04:59 PM


8月1日(木)

午前中はわなの整備。4月から箱わなを仕掛けたもののイノシシは全然かからず、小動物(多分アライグマ)がわなに入った形跡はあったが、隙間から逃げられたらしい。

最近はほぼほったらかし状態だったが、今月から再び気合を入れなおす。まずは箱わなを仕掛けなおし、新しい餌を撒く。次に新兵器「アラホール」を設置。箱わなに括り付けた。

今年の目標はイノシシ10頭だったが、今は「とりあえずアライグマ1匹でも・・・」という感じ。とにかく何かを捕まえないと始まらない。

昼は小城鍋島家tenで中園さん家族とランチ。来年に向けていろいろコラボできそうだ。

夜は佐賀市で体験塾のセミナー。少人数だったのでじっくり深くワークショップができた。今「小城農泊推進協議会」で進めている「神々の郷プロジェクト」構想を披露。今までになかった面白い体験になりそう、との評価を得た。しっかり磨いていきたい。

セミナー後の交流会も盛り上がり、やや酔いどれの8月初日となった。

| 農ビジネス | 04:59 PM | comments (0) |
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2019,07,31, Wednesday 06:37 PM


7月31日(水)

来月からいよいよ小城での活動が本格化する、ということで今日はなぜか天山へ。

上宮駐車場から登り始めた。駐車場までは何回か来たが登るのは初めて。標高差200m。結構ハード。40分ほどでやっと頂上へ。

ちょっと休憩して、東側の尾根を1kmほど歩いた。この辺でドローンを飛ばしたいところ。しかし風がけっこう強い。とりあえず少しだけ飛ばしてみた。案の定、下から雲がどんどん湧いてきて何も見えない。ドローンも一時、操縦不能になって焦った。何とか狭い遊歩道の平らなところに着陸させた。

しばらく待ったら、雲がなくなってきたので、果敢に2回目のフライト。今度は山の斜面がよく見える。広葉樹林を谷沿いに進めていくと、謎の巨石群。「これだ!」今日はここまで。

下りのほうがつらい。足がガクガク。減量して鍛えなおさなければ・・・。とにかく来月から頑張る!


| 日記 | 06:37 PM | comments (0) |
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2019,07,08, Monday 04:34 PM


5年くらい前に勉強会に参加して以来、いつかは挑戦してみたかったクラウドファンディング。今年は活動15周年の節目の年。しかも現地で有機農業に本格的に取り組む転換期でもある。タイミングはバッチリ。

しかし20%近く取られる手数料、失敗したときのリスク(恥ずかしさややる気の低下)などがネックになってなかなか踏み出せなかった。

しかしある情報を経て一気にやる気になった。それはクラウドファンディング会社Campfireの手数料無料キャンペーン。5月中にプロジェクトを起こせば手数料無料とのこと。

手数料という一番のネックがなくなって俄然やる気が出た。プロジェクトの起案はさほど苦労はなかった。いつも出前講座で話しているものを手直しして使えばいいし、リターン(商品)もそろっている。

一番迷ったのはゴール(目標金額)の設定。本当は大きく目標100万!と高らかに謳いたかったが、どれだけの支援が得られるか見当もつかない。これまで多くプレゼンその他アピールの機会があったが、たいてい「いいことをやっていますね。」「頑張ってください!」で終わるパターンが多い。バンベンのストーリーがただ共感を呼ぶだけじゃなく、共感から行動(支援)を起こしたくなるものなのか・・・。とにかく成功することが大事。熟慮した結果、目標を30万円に設定した。

GW明けにCampfireにプロジェクト案を送ると早速ダメ出しが・・・。本文が長い、動画があったほうがいい、画像に文字を入れたほうがいい、カテゴリーが違う・・・。一つずつクリアしていった。特に本文はだいぶ削ったし、独りよがりにならないように修正したが、それでもかなり長くなってしまった。

Campfireの審査も通り、5月20日にプロジェクトスタート。ちょうどバンベンのフェイスブックページで連載中の「原点回帰・オルドスの風」~塩を売って緑を買う男の始まりの物語~にリンクを張ったり、ご無沙汰しているお友達にメッセージを送ったり、イベントでチラシをまいたり・・・。

毎日通常業務の合間に少しずつ地道な作業。そして毎日少しずつ支援者が金額が増えていく。うれしくなってまた作業を頑張る。ますます支援が増えていく・・・。好循環。

5月30日に目標の30万円をクリア。すぐにCampfireの担当者から「セカンドゴール」を設定したほうがいいと言われ、「支援者100人」という目標を設定。これも6月10日に達成。すぐにCampfireの担当者から「サードゴール」の設定を求められたが、後は流れに任せてみた。

その後、佐賀県のクラウドファンディングイベントにも乗っかり、順調に支援を伸ばした。気が付けばもうすぐ100万円というところまできていた。

6月24日23時。福岡でのイベントが終わり、高速バス車内でビール片手にCampfireのページをチェックしていた時に100万円突破の瞬間が訪れた。無言で小さくガッツポーズ!

今回、クラウドファンディングに挑戦してみて本当に良かった。予想を上回る金額、支援者を得ることができて非常にうれしかったし、自分の活動に自信を持つことができた。

それ以上にうれしかったことは、この機会がなければもう連絡することがなかったであろう、協力隊時代の友人や初期の植林ボランティアの参加者、音信不通になっていた友人と再びつながることができたこと。そしてこのクラウドファンディングでまた新しいつながりができた。こういったつながりは大事にしていきたい。

初めてオルドスの地を踏んで28年、砂漠緑化を始めて15年。志、行動、つながりがぐるぐる絡み合いながら物語が紡がれていく。なんだか100歳までいってしまうような気がする。この流れを楽しみながら今後も歩んでいきたい。

*いよいよ、あと3日。少しでも多くの方にこの「物語」に参加していただきたく、ご支援よろしくお願いします!
https://camp-fire.jp/projects/view/156785

| 日記 | 04:34 PM | comments (0) |
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2019,06,28, Friday 05:38 PM


時は流れ2001年2月、ボクは再び中国で働くことになった。今度は北京。今度はボランティアではなく、ボランティアをサポートする調整員という立場で仕事をしている。そう、いつかボクの活動を見に来てくれた人がいるが、それと同じように中国各地に散っている80人のボランティアのサポートが仕事。

職場の同僚の半分は日本人。後の半分は中国人だが日本語はぺらぺら。職場のすぐ近くの外国人用のマンションで何不自由なく暮らしている。オルドスにはボクは行って以来、ボランティアは派遣されていない。ボランティアの要請もない。だから調整員になっても行く機会がない。オルドスでの3年間は過去のものとなっていた。いい思い出になっていた。

2003年春、中国はSARS(重症急性呼吸器症候群)が猛威を振るい、中国全土に約80人のボランティアが派遣されていた。現状把握のために毎日電話。帰国する隊員の手続き、任地に残る隊員のケアなど調整員業務も多忙を極めた。

しかしやることをやってしまうとあとは自宅待機。北京が一番危ないとされていたのでうっかり外出もできない。数週間なにもやることがなかった。朝からぼっとテレビを見ながらビールという酔いどれの日々。

何かやらなければ・・・、とりあえず思いついたのが、自分のオルドス時代の日記を読み直すこと。オルドスにいた時はテレビもなく夜は暇だったので、割と克明に日記をつけていた。その日記の束を北京に持ち込んでいたが、それまでは忙しくて見ることもできなかった。何気なく読み始めていみるとこれが面白い。夢中になってあっという間に読破した。

そして思った。この貴重な体験をまとめて出版しよう。目標が定まればあとは実行あるのみ。面白いエピソードを厳選し、2週間で40話の体験記に仕上げた。題して「オルドスの風」。

そして2003年夏、SARSが収束してボランティア業務も生活も通常に戻ってきたころに不思議な出来事が続いた。

ある日、職場に電話がかかってきた。「覚えていますか。ノリブです。」「???」「オルドスのモンゴル族中学にいたノリブですよ、センセイ」すぐ顔が浮かんできた。大学の体育学科に入るといっていたあのノッポのノリブだった。「やあ、久しぶり。でもどうしてボクが北京にいることがわかったの?」「実は2日前、フフホトに行ったんです。そのときある日本人と会って、話していたら先生の話になったんです。今、北京にいると聞いてびっくりしました。」こちらもびっくりした。

彼が会った日本人とはボクがサポートしているボランティアの一人だった。その時フフホトで日本語を教えていたのだ。しばらくたどたどしい中国語での会話が続いた。彼は大学を卒業し、オルドスの蒙古族中学に戻り、今、体育の教師をやっている。日本語の勉強はずっと続けてくれていて、今度、日本語能力試験の2級を受けると言っていた。

公費留学試験をパスして日本に留学することが彼の夢だ。彼のほかにボクの教え子が3人もモンゴル族中学で教師をやっているそうだ。物理と歴史、残念ながら日本語ではない。今、モンゴル族中学では日本語はやっていないとのことだった。「今度、オルドスモンゴル族中学のホームページを作る予定です。是非、先生のプロフールを送ってください。」彼はこう言うとメールアドレスを伝え、電話を切った。今、フフホトでボランティアをやっている人を通じて、昔のボランティア時代の教え子と電話で再会を果たすなんて。実に不思議だ。

別の日、また電話があった。その日は日曜日でたまたま休日出勤していた中国語ができない日本人スタッフが電話に出たが、何を話しているのか聞き取れなかった。とにかく「サカモトタケシ、サカモトタケシ」と何度も叫んでいた、ということだった。ボクの教え子であることはすぐわかった。「でも、今度は誰だ?」

数日後、もう一度電話があった。今度はボクがいたので回してくれた。「先生、こんにちは。スレンです。」オルドスで文通相手にとっておきの写真を送ってふられた53組のリーダーであった。「僕は今赤峰で広告の仕事をしています。」赤峰とは内蒙古中部にある街である。「僕はもう結婚しました。先生は?」「・・・」「さびしいですねえ。早く見つけてくださいね。」面目丸つぶれである。

しばらく拙い中国語で会話が続いた。「でも、なぜボクが北京にいることがわかったの?」「実は高校のとき先生が紹介してくれた文通相手が教えてくれたんです。」実は彼にはもう一人文通相手がいた。その文通相手は今、福岡の高校で教鞭をとられている。最近はご無沙汰していて、年賀状だけのやり取りになっていた。しかし、スレンとその先生はもう10年近くも文通していることになる。そして、その先生を通して、懐かしい教え子と電話で再会できるなんて。本当に不思議だ。

しばらくして、フフホトに出張に行ったときのことである。2日間の日程を終えて、空港で北京行きの飛行機を待っていた。飛行機は遅れていた。天候不良のため、まだフフホトにその飛行機は到着していない。待合室で本を読んでずっと待っていた。するとアナウンスが流れた。「やっと来たか」と思いきや、「北京行きの飛行機は約2時間後にフフホトに到着する予定です。」そのときすでに夜の9時。11時に飛行機がついて、客を降ろして、清掃して、搭乗、離陸は12時くらい?家に帰るのは午前2時すぎか??。

ため息をつきながらあたりを見渡すと、みやげ物コーナーがまだ開いていた。暇だから見に行った。ショウケースの下のほうにモンゴルの銀製品があった。懐かしくてしばらく見ていたら、ショウケースの反対側から「センセイ。」と日本語。「私のこと覚えてますか?」顔を上げると、かわいらしい従業員がボクのほうを見ている。

「あっ、思い出した。ウドンガリラだ。」よく覚えている。ちょっとおとなしかったが、とにかく日本語を一生懸命勉強してくれていた女子生徒。テストの点数もいつもトップクラスだった。高校時代はまん丸顔だったが、少し顔立ちが引き締まった感じになっていたので、俄かには思い出せなかった。

「先生、あちらでお茶でも飲みませんか。」と仕事をほかの人に頼んで、コーヒーショップに連れて行ってくれた。それから搭乗するまでの2時間余り、本当にお互いよくしゃべった。授業のときのこと、早大生と交流したこと、砂漠で木を植えたこと、昔の思い出が溢れんばかりに次から次へと湧いてきた。しゃべりたいことがたくさんあった。もう一生懸命しゃべった。

しゃべりながら考えた。オルドスでの3年間、彼女とこうやって面と向かってしゃべったことがあっただろうか。授業では僕の質問に懸命に答えてくれた。日本人との交流のときはよく笑っていた。しかし、彼女と授業以外の時間にこうやって話をしたことはない。雑談をしたことすらない。3年間という長い時間で一度もないのだ。それが、今、こうやってお互いオルドス時代の話に花を咲かせている。お互いの思い出を共有している。本当に不思議でならなかった。

「今はこの空港で働いています。今でも、日本語を少し使っているんですよ。夏になったら、日本人がたくさん来るから。センセイ、日本語を教えてくれて本当にありがとうございました。」「ボクがもっと上手に教えていたら、通訳になっていたかもしれないのに。」いや、本当に申し訳ない。別れ際、彼女が言った。「来年になったら結婚するから、オルドスに帰るんです。先生、また、オルドスに遊びに来てください。」先生は?と聞かれなくてほっとした。

深夜、2時すぎにやっと自宅に戻った。しばらくビールを飲みながら、物思いに耽っていた。「それにしても不思議だなあ。」ふと、あることを思い出して、押入れをごそごそ捜索した。ある物を探していた。小一時間探して、やって見つけ出した。

ボクの宝物、オルドス最後の夜に生徒からもらった青いプレート。「お互いに思い会うように」「そうか、お互いに思って、また会うんだ」「よーし、今度、思い切ってオルドスに行ってみよう!」
この物語、まだまだ続きそうだ。(完)

*まだまだクラウドファンディング継続中。ぜひこちらもご覧ください!
黄砂を止めよ!砂漠を緑に!~「塩を売って緑を買う男」15年目の挑戦~
https://camp-fire.jp/projects/view/156785

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